【スロヴァキア】シュテファーニクの伝説
2011年12月12日
ミラン・シュテファーニクは、1918年、チェコスロヴァキアが独立する際の指導者だった人物です。チェコのマサリクやベネシュとともに、チェコ人とスロヴァキア人が協力し合うことで、独立をもたらしました。外向的手腕に秀でていたといわれています。
第一次世界大戦が終結し、チェコスロヴァキアが独立してまもなく、シュテファーニクは故郷スロヴァキアの地に戻る際、航空事故で命を落とします。その墜落現場はブラチスラヴァ郊外の街イヴァンカ・プリ・ドゥナイで、ピラミッド型の記念碑がひっそりと建っています。ちょうどブラチスラヴァ国際空港のフェンスに沿ったところに位置し、シュテファーニク空港とも呼ばれています。
事故の原因はハッキリしていません。悪天候のためとも、砲撃にあったためともいわれています。チェコスロヴァキアは独立後、自治を求めるスロヴァキアの意向とは裏腹に、チェコを主導とした発展を遂げていきます。スロヴァキアは遅れている地域と見なされたためです。
こうした不平不満は長らくつづき、1993年、両者は分離独立をすることになります。もしシュテファーニクが事故に遭わなかったら、チェコスロヴァキアの歴史も大きく変わっていたのではないかと思います。実際、シュテファーニクの指導力を怖れたチェコ側による謀殺説もあります。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
投稿についての注意事項
- このブログへのご質問については、内容によってお答えできない場合や、回答に時間がかかる場合があることをご了承ください。