【プラハ】写真家ヤン・ライヒの回顧展
2012年9月 3日
プラハ城でヤン・ライヒというひとりの写真家の業績と生涯を振り返る大がかりな展覧会が開かれました(2012年4月15日から8月19日まで)。プラハ城の裏側にある新世界通りに長らく暮らしたライヒらしい会場だったと思います。
ライヒはサーカス団の手伝いをしながら、団員の写真を撮りました。それが写真家としての第一歩になったのですが、回顧展では彼が着たサーカス団の衣装も展示されていました。
その後、アメリカで写真の勉強をする機会を得ます。しかし、「プラハの春事件」で諦めざるを得なくなります。そのときしばらく足止めをすることになったパリでの写真は初々しさがあります。
ライヒは生まれた街であるプラハとボヘミアにこだわり、ストイックに写真を撮りつづけました。それでいてとてもほがらかで、ユーモアあふれる人柄でした。写真展を見ながら彼のことを思い出し、ちょっぴりセンチメンタルな気持ちになりました。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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はじめまして。昨年プラハに旅行したときフランティシュカーンスカー庭園にある旧SEMAFOR劇場の跡を探しているときに写真館のようなカメラ屋のような店に迷い込んでしまいました。
Funkeの絵葉書を売っていたので物色していたら、店員に話しかけられて。
以前からDortikolが好きでVeletržní palácで昨日見てきたばかりな~んて話をしていたら。
古い作家も素晴らしいけど、近年のモノクロの作家も良いよと五人ほど紹介していただきました。
そして売り物の!写真集を何冊か見せてくれました。
(ここにしろ その前に入ったアカデミア書店にしろ、夏の観光客相手だというのにまったく商売っ気がなく。チェコのアートの素晴らしさについて力説されました。また少し流れが変わりつつあるのかもしれません。良い方向に流れれているとよいのですが...)
そのうちの一人がヤン ライヒでした。「別に買わなくていいよ また来てね」というので そのときは絵葉書を何枚か買って甘えてしまいましたが、帰国してからやはり欲しくなって別の古書店で探してDum v krajineを買いました。
私は写真はよく解らないのですが チェコの何人かの作家のものはすっと心に入ってきます。
不思議です。
hudba | 2016年5月 6日 01:27
はじめまして。ライヒさんと知り合ったのはかれこれ25年ほど前のことでした。写真に対する真摯な姿勢は、とてもすばらしいものでした。ライヒさんの作品を知ってくださり、感謝いたします。
増田 幸弘からhudbaへの返信 | 2016年5月 6日 16:24
返信ありがとうございました。
謎が解けました。
はて"カフカの生きた街"にライヒさんの章なんてあったかしらん?と思い掘り出しみてみると、やはりそんな章はありません。ところが冒頭からライヒさんの写真が沢山あるではないですか、特に城から地下鉄のマロストランスカ駅の方に下りる階段の写真はお気に入りでした。ライヒさんの写真どこかで見た気がしたはずです。
Toyenもこの本で知ったはずです、この本では展示されていないと書いてあったのに行くと既にフィヨルドなどが展示されていて驚き感動しました。AghaRTAもこの本で知ったし、ありがとうございました!
それと最後にもひとつ、巻末のショップリストはもうほとんど役に立たなくなってしまっているなぁと思いながら、めくっていると...アルバトロスももうないし昔ヴァーツラフ広場にZofie Melicharovaの店なんてあったんだ。いきたかったな.....いや行ったことあるぞここっ。
多分現在Semafor劇場と一緒にデイヴィツカーに引っ越してますよね。もしかしたらあの親切なおばさんモラヴツォヴァだったのかもしれません。無知というのはまことに残念なものです。
入ったときちょうどヘゲロヴァ(←ブラチスラバの人でしたっけ?)の"僕はスノッブ"が流れているとても素敵な店でした。
私プラハの滞在時間が今までの全部合わせても200時間にも満たない、日頃は脳内旅行者なのですけど
それくらいがちょうどいいのかもしれませんね。
hudba | 2016年5月 8日 23:17
古い本をご愛読くださり、ありがとうございます。「カフカの生きた街」を取材したのは1992年のことでした。当時まだライヒさんはカメラマンとしてはほとんど認知されておらず、お宅に行って、撮った写真を全部、見せていただき、選んで本に載せました。彼が自分の写真集「プラハ」を出す前のことです。懐かしい記憶です。
増田 幸弘からhudbaへの返信 | 2016年5月 9日 13:34