【スロヴァキア】コシツェ紀行 4(牢獄だった博物館)
2012年10月22日
中央通りから路地を一本入った行き止まりのところに、コシツェ歴史博物館があります。ここはかつて街を守る城壁があった場所にあたり、博物館の建物は当時、城壁と一体化していました。そして、この建物はかつて牢獄でした。
女子用と男子用に分けられた牢屋のほか、拷問の部屋が再現されています。拷問の仕方を描いた中世の絵をあわせて展示しています。それよりもどのような拷問を加えたか、詳細に記した分厚い記録が当時の状況をいまに伝えているように感じました。
拷問とはいささかグロテスク趣味な気もしますが、中世、法律の整備が進むにしたがい、裁判にあたって「自白」が重視されるようになりました。そこでさまざまな拷問が行われるようになったのです。もちろん今日の法律ではそうした「自白」は違法です。
建物の壁面には、17世紀から18世紀のものとされる落書きも残っています。人間の考えることや、やることは、むかしから変わっていないようです。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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