【スロヴァキア】バンスカー・シュティアヴニツァ紀行 3 鉱山の街
2013年4月 8日
バンスカー・シュティアヴニツァは中世より、鉱山の街として栄えました。金や銀を採掘した街は大いににぎわい、ハンガリーの第三の街でした。当時はスロヴァキアではなく、ハンガリーの街だったのです。
この街の特徴は、ゆるやかな山腹一帯に広がる旧市街の真下に坑道が張り巡らされていることではないかと思います。いまは廃坑になっているものの、坑道への入口が街のところどころにあり、かつて鉱山の街だった名残となっています。
坑道の一部は野外鉱山博物館としてガイドツアーで見学(4月から10月のみ)することができます。街の中心部にも一般公開されている短い坑道があります(有料、通年)。
旧市街の入口あたりにある大きな建物は、女帝マリア・テレジアの肝いりで18世紀半ばに開校したヨーロッパ初の鉱山学校でした。その規模の大きさに驚かされますが、それだけバンスカー・シュティアヴニツァの鉱山が重要だったことがわかります。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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