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北京 6・4消された歴史

2011年07月14日

 「6月4日? 何があったんですか」

 30代前半よりも若い中国人たちに1989年に北京で起きた天安門事件のことを聞くと、一様にこう答える。誰も教えないし、どこも報じない。だからみんな知らない。

 40歳前後の人になると、「知人が流れ弾に当たった」「地方でもデモをしていた」と記憶がよみがえる。だが、誰も多くを語りたがらない。

 22年前、新入社員だった私は会社のテレビで北京の長安街を戦車が走り回り、市民が兵士に銃撃される様子を見た。前年に旅行で天安門広場にも行っていたので、信じられない思いで画面を見詰めたことが忘れられない。

 先の若い世代に「中国の指導者の名前を挙げて」と聞くと、「胡錦濤、江沢民。それに毛沢東」。その死が事件のきっかけとなった胡耀邦も、事件で失脚させられた趙紫陽の名も出ない。「歴史を鑑(かがみ)に」と好んで使う中国だが、一連の出来事は指導者ごと歴史から削除されている。

 3連休の初日だった6月4日。広場は無邪気に記念写真を撮る若者であふれた。一角では動員された多数の高校生らしい若者たちが捨てられて固まったガムをブラシで削り、地面を洗浄剤で念入りに磨いていた。かつてそこに多くの人の血が流れたことも知らずに。 (渡部圭)