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太原 残留婦人の孤独と涙

2011年09月02日

 中国山西省の省都、太原を丹羽宇一郎大使が訪れた際、神崎キクヱさん(87)=中国名・張毓芝(ちょういくし)さん=と面会した。1924(大正13)年、旧満州(中国東北部)の奉天(現瀋陽)生まれ。満州事変の発端となり、奉天郊外で起きた柳条湖事件の7年前にあたる。

 両親は神奈川県藤沢市から移住。日本の銀行の現地支店に勤務していた21歳の時、敗戦を迎えた。父も兄も既に他界。旧満州から続々と日本人が引き揚げる中、キクヱさん母子は帰国を拒まれた。理由は今もはっきりしない。キクヱさんは「日本国籍だった」と話すが、父が華僑だったことが影響したのか。

 残されたキクヱさんは歌舞団員の中国人と結婚。母の死後、仕事を求める夫について遠く離れた太原へ移った。生活は苦しく、職を得ても日本人ゆえに差別され、給料は中国人より少なかった。6年前に夫が死去した後は息子夫婦や孫夫婦が支えてくれている。だが日本にはもう誰も知人がおらず、日本語を話す機会もない。

 キクヱさんのような残留邦人は大使館が把握するだけで今も40人いる。大使からねぎらいの言葉をかけられたキクヱさんは「日本人と会うと、とてもうれしいです。またいらしてください」。涙ぐみながら話す日本語は丁寧で美しかった。(渡部圭)