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陜川 被爆者の苦しみ今も

2011年09月07日

 「あんた、広島で住んでいた家、覚えてる?」。広島、長崎で被爆した韓国人たちが暮らす介護施設が韓国南部・陜川(ハプチョン)にある。入所者のおばあさん2人の間で冒頭のような会話が始まった。

 「前に小さな竹やぶがあって、たどん工場が横にあって…」。72歳の羅さんが答えると83歳の厳さんが言った。「なら、あんた、私の家の離れに住んでたわね」。60数年ぶりの再会だった。羅さんは「お姉さん!」と抱きついた。

 厳さんが被爆事実の証人となり、羅さんは日本から援護を受けるための被爆者健康手帳を今年やっと取得した。が、こんな劇的な再会はまれ。在韓被爆者の約130人が今も手帳をとれずにいる。高齢化する彼らに被爆事実の証明は難しい。

 戦後、故郷に引き揚げた彼らは長い間、むしろ被爆の事実を隠したという。「体じゅう傷だらけだし病気がちだし、日本から変な伝染病をもってきたと白い目で見られて」。施設裏の慰霊堂には約900もの位牌(いはい)が並んでいた。韓国にも多くの被爆者がいて後遺症と生活苦、差別に苦しみながら亡くなっていったと知らされた。

 姉妹のように厳さんと並んで話していた羅さん。うちわをゆったり揺らしていた手が小刻みに震えだした。「原爆と日本が憎くて、憎くて…」。涙がこぼれた。(辻渕智之)