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韓国・陜川 被爆者の思い届かず

2016年07月13日

 「ピカッと光った後、気が付くと体中にガラス片が刺さって血の海になっていた。屋外に出ると、人も馬も犬も燃えていた」。17歳のときに広島で原爆に遭った韓国人女性、李水龍(イスヨン)さん(87)は、流ちょうな日本語で投下直後の惨状を語った。

 韓国南部の陜川(ハプチョン)は、生存する被爆者約620人が住み「韓国のヒロシマ」と呼ばれる。植民地時代、土地調査で農地を失った人たちが大勢、広島に渡って被爆した。帰国後も裁判に勝つまで長く治療支援を受けられず、貧困と差別に苦しんだ。

 韓国赤十字社によると、広島と長崎で朝鮮半島出身者7万人が被爆、4万人が死亡したという。李さんらが暮らす陜川原爆被害者福祉会館には、1054人の位牌(いはい)が並ぶお堂がある。「韓国人被爆者は日米の戦争に巻き込まれた被害者。オバマ米大統領は広島で韓国人の慰霊碑も訪れてほしい」。李さんは今も痛む足をさすりながら訴えた。

 オバマ氏は広島で原爆死没者慰霊碑を訪れた。150メートル離れた所にある韓国人慰霊碑まであと「270歩」。その歩みを妨げた事情は韓国人被爆者たちの苦難史を上回るほど大きかったのだろうか。 (島崎諭生)