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台北 歌碑に込めた思いは

2018年01月09日

 台北市の南昌公園に日本人向けの小さな観光スポットができた。南昌公園は日本統治時代は第4代総督、児玉源太郎の別荘だった。傍らに南福宮という廟(びょう)があり、外壁に北白川宮能久親王の富子親王妃の歌碑がはめ込むように建てられた。北白川宮は日本の台湾領有に伴う現地派遣軍を指揮し、マラリアで戦病死した。

 歌碑は以前からあったが、廟の内部の壁に埋め込まれて、知る人は少なかった。今年改築の際、歌碑を外壁に出した。「廟の管理委員会主任委員が日本好きで、日本人にもっと見てもらいたいと」と係員。歌碑は風化で文字がよく読めず、ガラスが張ってあるため反射して見にくい。

 「国のためたてしいさをはもりそにの山よりたかくおもほゆるかな」

 歌は1901年、富子親王妃が北白川宮を祭る台湾神社鎮座の際に訪台、児玉総督に送ったとされる。

 歌中の「もりそに」の意味が不明だったが、歌碑の説明書きに「もりそに」は本来は「モリソン」で、新高山(現・玉山)の旧名とある。となると、児玉総督の功績は新高山より高い-となるが、富子親王妃の脳裏には戦病死した夫、北白川宮の姿があったのかも。 (迫田勝敏)