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烏山頭ダム 台湾 八田與一の輝く業績

烏山頭ダムは中心にコンクリート構造物をおき、周辺を土砂でせきとめる方式を採用。堰堤は1273メートル

烏山頭ダムは中心にコンクリート構造物をおき、周辺を土砂でせきとめる方式を採用。堰堤は1273メートル

 台湾の北から南まで新幹線(高速鉄道)が開通し、気楽に南部の観光を楽しむことができるようになった。「台湾の大恩人」といわれる八田與一の銅像を拝みに、台南県官田郷の烏山頭(うさんとう)ダムを訪れた。

 日本から台湾の桃園国際空港に到着し、その日は烏山頭近くの日本統治時代から続く関子嶺(クワンツリン)温泉(同県白河鎮)に宿泊した。硫黄のにおいの黒い泥水の湯があり、温泉好きにはたまらないだろう。

 翌日、車で烏山頭へ。周辺は「烏山頭水庫風景区」という山とダム湖を楽しむ憩いの場に整備されていた。広いので、タクシーならば入り口で降りずに、中まで入ってもらおう。見どころは堰堤(えんてい)、放水口、八田與一紀念室(記念館)、銅像、殉工碑(殉職者碑)などだ。

 日本による台湾統治時代(1895-1945年)、日本が台湾社会の発展に貢献もした事例として必ず嘉南大シュウ(かなんたいしゅう)が語られる。「嘉南」は嘉南平野という地名、「シュウ」は用水の意。嘉南大シュウとはダムと水路網により、ほとんどが不毛の荒れ地だった同平野に約15万ヘクタールの農地を生み出した計画の総称。ダムは1920(大正9)年着工、30(昭和5)年に完成した。立案から現地指揮まで、総督府の土木技師だった八田與一(1886年金沢市生まれ)があたった。

 銅像はダム完成の翌年に地元民によって建てられた。八田技師は考え事をする時、腰を下ろし髪をいじる癖があり、銅像もその姿に。八田技師が地元民に慕われていたとよくわかる。

 八田技師は大戦中、フィリピンに向かう途中、乗っていた船が魚雷攻撃を受け死亡した。妻の外代樹(とよき)さんは終戦直後、ダムの放水口に身を投げた。墓は銅像の後方にあり、訪問者が絶えない。記者が行った時も花束があった。

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