新岡山港から小豆島の土庄(とのしょう)港まで、わずか七十分の船旅。なのに、妙に気持ちが急(せ)く。俳人尾崎放哉(ほうさい)の終焉(しゅうえん)の地を訪ねるのだが、快く迎えてもらえるだろうか。
何しろ代表作が「咳(せき)をしても一人」なのだ。来訪者は峻拒(しゅんきょ)されそう。では、どうして、わざわざ島へ。ここ数年、句会に参加しているのだが、作句や選句の際、「五七五」の定型から離れた句の扱いがよく問題になる。「遊びなんだから、ルール(定型)を守ろうよ」ということでたいてい決着するのだが、「でも、放哉はどうなんだ…」と彼の句をつぶやき、最後まで抗弁する人がいる。
「障子あけて置く海も暮れ切る」。リズムはへんてこだけど、確かにぎゅっと心をわしづかみされる。この感動はどこからくるのだろう。
放哉が1926(大正15)年4月、41歳で亡くなる最晩年に8カ月暮らし、今も人々に親しまれている数々の句を詠んだ「南郷庵(みなんごあん)」が94年に再建され、記念館として開放されている。土庄港の案内所で地図をもらい、庵を目指した。
「迷路のまち」と白く染め抜かれたのれんが商店街に掲げられている。曲がりくねった小道が錯綜(さくそう)し、一瞬、方向感覚をなくしてしまう。14世紀の南北朝の争いがこの島にも及び、攻防戦が繰り広げられた名残だという。
「思ひがけもないとこに出た道の秋草」。そんな句もあったなと思いながら歩いていると、いきなり放哉の句が目に飛び込んできた。菓子屋の店先、「大師まんじゅう」ののぼりの横に、「入れものが無い両手で受ける」の看板。雨でぬれないよう小型の屋根まで作ってある。




















