「ごぉーん、うぉん、うぉん…」。野寺の静寂を破って、鐘の音が鳴り響いた。
ここは山口市郊外にある興隆寺。中世から戦国期にかけ西国の覇者となった大内氏の菩提(ぼだい)寺として大いに栄えたが、いまは小さな本堂と鎮守の社を残すだけ。
余韻鳴りやまぬ大釣り鐘(高さ2.9メートル、直径1.2メートル)が、往時の隆盛をわずかにしのばせる。大内氏の勢力圏で鋳物産地として鳴り響いた芦屋(福岡県芦屋町)の産。風雅をこよなく愛した大内義隆が1532(享禄5)年に寄進した。義隆は謀反に遭い、栄華の絶頂から転げ落ち、自害した悲劇の大名である。
大内時代の工芸を代表する傑作で国の重要文化財だが、実はこの鐘、だれでも突くことができる。
観光マップに載らない無住の寺にたどりつくまで、何人もに道案内を請うた。JR山口駅前の交番はあいにく不在。観光案内所に電話すると、係の女性が「近くだから待ってて」とわざわざ交番まで来てくれた。
興隆寺にあった伽藍(がらん)はどこへ消えたのか。旧本堂が市中心部の龍福寺に移築されていると聞いた。龍福寺は大内氏の巨大な館跡に立ち、大内氏を攻め滅ぼした毛利氏が義隆の菩提を弔うために創建した歴史を持つ。参道に「ザビエル布教の井戸」が残されていた。フランシスコ・ザビエルが京に上る途中、山口に立ち寄り、義隆の許しを得て井戸端でキリスト教を説いたという。




















