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八代市・日奈久温泉

八代市・日奈久温泉 熊本県 人情、湯 山頭火も満足

山頭火が泊まった木賃宿だった「おりや」

山頭火が泊まった木賃宿だった「おりや」

 2004年までJR九州鹿児島線の一部だった肥薩おれんじ鉄道。第三セクターへの移行を機に「日奈久(ひなぐ)」から「日奈久温泉」と改めた駅で降りる。改札付近に黒い法衣を身につけ、網代笠(あじろがさ)をかぶった男が立っている。近づくと笠のはげ具合から人形と分かるが、草履ばきの足の爪に至るまで徹底したリアリズムだ。

 「JR時代の駅長さんがおつくりになりました。手先が器用な方で、山頭火そっくりでしょう」。乗客を出迎えに事務室から出てきた女性が問わず語りに説明してくれる。「実に立派な足ですね」。言わずもがなの言葉を説明のお礼に代え、薩摩街道を歩きだす。大きな荷物を抱え一目でよそ者と分かるはずだが「こんにちは」「今日は寒いね」。街の人とすれ違うたびに声が掛かる。さすが開湯600年余。たくさんの旅人を迎えてきた湯の街だけある。

 “放浪の俳人”種田山頭火(1882~1940年)がこの地を訪れ、「行乞記(ぎょうこつき)」の冒頭近く「温泉はよい、ほんとうによい、ここは山もよし海もよし」と記したのは1930(昭和5)年。3日間滞在した木賃宿「おりや」の建物が日奈久港のそばに今も残っていて、内部を公開している。山頭火が休んだ2階は踊り場を挟んで八畳間が2つ。壁に張られた地元の新聞によると、平成になってからも客を泊めていたらしい。最後の客となった研師の素泊まり料金は650円だったという。
 
 「此(この)宿は夫婦揃(そろ)って好人物で、1泊40銭では勿体(もったい)ないほどである」。「行乞記」の一節をかみしめながら、街並みと八代海を一望できる高台にある温泉神社を目指す。入り組んだ路地を歩いていると再び「どこからおいでですか」と声が掛かる。少し離れた空き地からは、三角野球をする子どもたちの声が聞こえてくる。「やめろ」「よかろうが」。きつい命令調がいかにも子どもらしく、懐かしい。

 
温泉街と八代海が見渡せる温泉神社からの眺望。山頭火を思わせる法衣の観光ガイドと観光客が上ってきた

温泉街と八代海が見渡せる温泉神社からの眺望。山頭火を思わせる法衣の観光ガイドと観光客が上ってきた

 境内への石段が一度途切れた場所に相撲場があり、春の日差しを明るく照り返している。江戸の天保年間、嶋ケ崎宇太郎という強い相撲取りがいたが、雷電や小野川に挑戦するため江戸へ向かう途中で毒を盛られ、非業の死を遂げたという。石段の近くに墓所が設けられている。

 「宇太郎が肥後の英雄、横綱不知火になっていたかもしれない」。神社の境内から「不知火海」とも呼ばれる八代海を眺めながら、しばし夢想にふけった。

 石段の上り下りで少し汗ばんだ体を日帰り入浴施設「ばんぺい湯」に委ねた。湯は澄み切っているけれど、肌触りがとても柔らかい。まるでこの街の人たちみたいだ。

 外に出ると、まだ子どもたちの声がしている。今度はキックベースに種目が変わった。これだけ外でよく遊ぶ子どもたちは最近珍しい。

 
街の随所に掲げられた山頭火の句=いずれも熊本県八代市で

街の随所に掲げられた山頭火の句=いずれも熊本県八代市で

 ほのぼのした気分で、家々の外塀や格子戸に結び付けられた木札を眺め歩く。どの札にも山頭火の句が書かれている。早速、今の気分にぴったりの句が見つかった。

 人の声して山の青さよ

 文・写真 中山敬三

(2012年3月30日 夕刊)

メモ

地図

◆交通
福岡空港へは中部空港から約1時間25分、羽田空港から約2時間。
福岡空港からJR博多駅は地下鉄で約5分。
JR博多駅からJR新八代駅は新幹線で約50分。
新八代駅から肥薩おれんじ鉄道・日奈久温泉駅は約15分。
熊本空港へは中部空港から約1時間25分、羽田空港から約2時間。
熊本空港からJR八代駅までバスで約1時間。

◆問い合わせ
日奈久温泉観光案内所=電0965(38)0267

おすすめ

ちくわをほおばる観光客

ちくわをほおばる観光客

★日奈久温泉センター
「ばんぺい湯」 江戸時代は肥後細川藩が営む「御前湯」、
明治以降は「日奈久温泉本湯」があった場所に2009年開場した。
中学生以上500円。家族湯もある。
愛称の「ばんぺい湯」は重さ4キロにもなる地元特産のかんきつ類
「晩白柚」(ばんぺいゆ)から。

★ちくわ
1883(明治16)年、岩崎和兵衛がとれすぎて捨てるしかない魚を
竹に巻いて焼いたのが名産品の始まりと伝わる。
焼きたてのちくわや揚げたてのちぎり天が温泉街の所々で売られていて、
足湯につかりながらちくわをほおばる観光客の姿も。

★路地裏ツーリズム
地元発の観光プロジェクトで、まち歩きのモデルコースを提案。
(1)「薩摩街道歴史散策」は温泉が発見された際の「お告げの石」が残る温泉神社や1862年築の町屋「村津邸」などを巡る。
(2)「木造3階建てめぐり」は、長洲屋、金波楼などの老舗旅館を。
(3)「路地裏ご利益めぐり」は、恵比寿さまや歯の神様、目の神様、
手足の神様などユニークな神様を訪ね歩く。

※掲載された文章および写真、住所などは取材時のものです。あらかじめご了承ください。

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