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養老牛温泉

養老牛温泉 北海道中標津町 身も心も満々 秘境の湯

川に面した露天風呂。白い雪と湯気の間から青空がのぞいた

川に面した露天風呂。白い雪と湯気の間から青空がのぞいた

 大雪が降ると、道は閉ざされる。秘境と呼べる場所が少なくなった現代で、しばしば携帯電話が途切れる森の中は、まさしく陸の孤島。そこにアイヌ民族が400年前から湯治していたという秘湯があった。

 北海道東部、中標津(なかしべつ)町にある養老牛温泉。養老牛はアイヌ語の当て字で、人によって違った読み方は2016年、開湯100年を機に「ようろうし」に統一された。

 真冬日に着いた。旅の目的は露天風呂。荷ほどきもそこそこに脱衣場へ向かった。内風呂から外への扉を開く。襲ってきた寒さは想像をはるかに超えた。後ずさり、扉を閉めて、内風呂で体を温めてから再度挑んだ。

 はやる気持ちと震える体を抑え、滑らぬように歩を進め、宿の脇の川辺へ下りた。湯気がもくもくと上がっている。満々と湯をたたえる岩風呂があった。

 肩までつかる。湯は透明で、肌への刺激もにおいもない。人心地がついたところで周囲を見回した。川向こうは森。絶え間なく注ぐ掛け流しの温泉と、川の水が岩にぶつかる音が、さながら交響曲を奏でるよう。聞こえてくるのは、それだけ。

 雪が降ってきた。心なしか音が小さくなった。静かに目を閉じる。頭に手をやると、髪の毛が凍っていた。

2軒の宿が並ぶ養老牛温泉

2軒の宿が並ぶ養老牛温泉

 「時間を忘れて時を過ごせる場所なんです」。先ほど聞いた言葉を思い出した。宿まで私を運んでくれたタクシー運転手の男性(70)はこの町の生まれ。養老牛温泉へ、と告げると「私も毎年必ず、家内と2人で行っているんですよ」。確かに人に紹介したくなる魅力があった。

 「名古屋経営なのかな。もうからない商売はしないよ」。温泉宿の主人、長谷川松美さん(68)がからりと笑う。父母はともに名古屋から出てきた開拓農家。この地で出会い、同郷の縁が2人を結び付けたという。

 縁は続く。長谷川さんは親族を頼り、名古屋市内の大学へ進学。4年間で培ったのは都会の目線だった。卒業するとすぐ経営を手伝うために戻ってきた。老舗のわが家が、出発前とは違って見えた。

 「部屋も駄目、風呂も駄目、食事も駄目、人も駄目。良いのは環境だけ」

 次々と手を繰り出した。経済成長の波にも乗り、客足は右肩上がり。「家が1軒もないので露天風呂を囲わなくていいからね」という環境は当時のまま。守るだけではない。年間2カ月は旅をして歩く。学びを続ける姿勢が、人里離れた秘境に、また人を呼ぶのだろう。

絶滅危惧種のシマフクロウと目が合った=いずれも北海道中標津町で

絶滅危惧種のシマフクロウと目が合った=いずれも北海道中標津町で

 最盛期には7軒を連ねた温泉街。映画「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」や「釣りバカ日誌20 ファイナル」の舞台にもなった。それが今では2軒に。隣の宿を営む小山宏之さん(38)が「夜は家族も怖がって、外出しません」と言うほど、日が落ちると漆黒に包まれる。店もない。知る人ぞ知る、とはこのことか。数は少なくなっても、受け継いだ看板を大事に守っている人たちがいる。

 夜が更けた。再び風呂につかろうか。ふと目をやると、体が震えた。寒さではなく、幸運に。

 絶滅危惧種のシマフクロウに出会えた。見とれていると目が合った。北海道にわずか140羽、国を挙げて保護に取り組んでいる。驚かさぬように、近づかず、ストロボもたかず、そっとシャッターを切った。

 文・写真 藤野治英

(2018年1月5日 夕刊)

メモ

地図

◆交通
中標津空港へは羽田から1日1便。
夏期は愛知県営名古屋空港など各地からチャーター便がある。
中標津空港から養老牛温泉まで車で30分。
女満別空港、釧路空港からは車で2時間。

◆問い合わせ
養老牛温泉の宿は2軒。
ホテル養老牛=電0153(78)2224、湯宿だいいち=電0153(78)2131

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★牛乳で乾杯条例
正しくは「中標津町牛乳消費拡大応援条例」。
町の基幹産業は酪農で、2014年4月施行。飲食店で小ぶりな紙コップを使い乾杯を奨励するなどしている。

★チーズブルトンヌ
町産のゴーダチーズをふんだんに使った焼き菓子。
町地域雇用創造協議会が開発。
町内の3店舗と、中標津空港で購入できる。
5個入り1200円(税別)。
万両屋=電0153(72)2319

★歩く旅
町の観光名所「開陽台」や酪農地帯などを歩く「北根室ランチウェイ」を、四季を通じて紹介。
なかしべつ観光協会=電0153(77)9733

※掲載された文章および写真、住所などは取材時のものです。あらかじめご了承ください。