朝の陽光を浴びた大神殿が、その名にふさわしい姿を現した。急勾配の階段を上ること、248段。頂から眼下を見渡すと、巨大都市の遺構が広がる。観光客で喧噪(けんそう)に包まれる昼に比べ、澄んだ空気と静けさが絶景を際立たせた。
メキシコ市から北東へ50キロ。「太陽のピラミッド」は、紀元前2世紀に造られた宗教都市国家・テオティワカンの遺跡の中心にそびえる。高さ65メートル、底辺の長さ約220メートルは、エジプトのクフ王とカフラー王のピラミッドに次ぐ大きさだという。1万人もの人々を動員し、10年以上かけ完成させたとされる。
14世紀、この遺跡を見つけたアステカ人は、ピラミッド群を見て「神々が集う場所」という意の、テオティワカンと名付けた。太陽のピラミッド、高さ40メートル余の「月のピラミッド」という名も、アステカの神話に由来するという。
遺跡を敬ったアステカ帝国は16世紀初め、スペイン軍に侵略され、先住民による神殿は徹底的に破壊された。独立を勝ち取るまでの300年にわたる植民地時代、この遺跡が残ったのは奇跡的だとも言える。
本格的な学術調査が始まったのは、わずか50年ほど前。最盛期には20万もの人々が暮らしたとされ、世界に冠たる大都市だった。だが、7~8世紀ごろ滅亡した後、人々がどこへ消えたのかは分からない。世界遺産に登録された今も、多くの謎に包まれている。
遺跡を離れ、市街地へと向かう。
メキシコ市はアステカ帝国時代、テノチティトランと呼ばれる湖上の首都だった。だが、スペイン軍により湖は埋め立てられ、欧風の街に生まれ変わった。このため地盤が軟弱で、地震の影響を受けやすいといわれる。
スペイン植民地時代の代表的な建造物が、中南米最大級のカトリック教会「メトロポリタン・カテドラル(大聖堂)」。世界遺産「メキシコ市歴史地区」にあり、重要な式典が催される憲法広場「ソカロ」に面する。元はアステカの神殿があった場所に250年かけて造られ、荘厳な内外装に圧倒される。
ソカロ周辺の瀟洒(しょうしゃ)な街並みを抜けると、土ぼこりにまみれた車やバスが渋滞の列をなし、赤信号になると、どこからか窓拭きの少年や若者が姿を見せた。
「貧富の差は大きいですよ」と、メキシコで4半世紀暮らす通訳の山脇ふさ子さん(69)。格差は治安の悪化を招き、メトロやバスではスリや強盗被害がよくあるという。「だから車で移動する人が多くて、いつも渋滞しています」。格差が大気汚染をも引き起こしている。
市街地から南へ30キロ。車で1時間ほどかけ、世界遺産のソチミルコ運河に到着した。「移動するの地図」と微妙な日本語で書かれたマップに出迎えられ、色鮮やかな小舟に乗り込んだ。アステカ帝国時代の湖の面影を残すが、今は人工的に水を供給しているという。
運河へ漕(こ)ぎ出ると、トウモロコシの生地を焼いたトルティーヤを使った軽食を、現地の人々が振る舞ってくれた。舌鼓を打っていると、いつしかコップにはテキーラが注がれている。手の甲に載せた塩をなめ、一気に飲み干し、ライムを口に含む。心地よい揺れと相まって、愉快な気分になった。
「サルー!」(スペイン語で乾杯の意)。日が傾くにつれ、舟の上は笑い声に包まれた。
文・写真 沢田敦
(2018年3月30日 夕刊)
おすすめ
★マリアッチ
バイオリンやトランペット、ギターでメキシコ音楽を演奏する楽団。
世界無形文化遺産。
市内のレストランでは夕食時、多くの楽団が演奏を繰り広げる。
日本のCMでおなじみのメキシコ民謡「シエリト・リンド」が定番。
日本人向けに「川の流れのように」なども演奏する。
結婚を意味する「マリアージュ」が語源ともいわれる。
★シウダデラ市場
メキシコ各地の雑貨や民芸品がそろい、300店以上が軒を連ねる。
色鮮やかな刺しゅうや食器、小物入れ、骸骨の置物、つばの広い帽子ソンブレロなどが、お手頃価格で所狭しと並ぶ。
バルデラス通り沿いにある。
黄色い壁が目印。
原則、午前10時開店で、月-土曜は午後7時、日曜は同6時閉店。
★オアハカチーズ
メキシコ市から南東450キロのオアハカ州発祥のチーズ。
日本の裂けるチーズの元になったといわれる。
味はあっさりしつつコクもある。
トルティーヤに挟んで食べてもおいしい。