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テルメズ、サマルカンドなど

テルメズ、サマルカンドなど ウズベキスタン 文化交わる砂漠の国境

国境を越えてウズベキスタンに車で入国する人たち。奥はタジキスタンの国境検問所=サマルカンドで

国境を越えてウズベキスタンに車で入国する人たち。奥はタジキスタンの国境検問所=サマルカンドで

 近代建築が並び、豊かな緑と整備された広い車道が続くウズベキスタンの首都タシケント。車で郊外に出るとまもなく茶色の大地が広がった。国土の多くがキジルクム砂漠に覆われたウズベクはシルクロードの要衝として栄えた。古都サマルカンドまでは半日。一直線に延びた道は所々でこぼこだったが、砂ぼこりを上げながら走った。

 今年2月に日本など7カ国の観光客には査証(ビザ)が免除された。「青の都」サマルカンドは人気の名所が多く、日本人旅行者も見かけた。青タイルで装飾されたモスクや建物群を見ながら国境に向かった。

 検問所に着くとまず目に入ったのが、高さ約3メートルの大型パネルだ。ほほ笑み外交を展開するミルジヨエフ大統領と、陸続きの隣国タジキスタンのラフモン大統領が会話したり握手したりする写真で、両国の友好関係を強調していた。鉄柵を隔てて数百メートル先のタジク側検問所にも同様のパネルが掲げられ、双方をつなぐ道のあちこちに両国の国旗が並んではためいていた。タジク側はソグド人の古代都市遺跡で有名なペンジケントに近い。

 国境を行き交う人々の表情には笑顔があった。ウズベクはサマルカンドなどタジク人が多い地域を抱えており、ソ連崩壊に伴う独立後、25年間にわたる強権体制を敷いたカリモフ前政権時代、国境周辺には緊張関係があった。しかしいまの検問所は穏やかで拍子抜けするほど。一昨年12月に始まった現政権の改革路線が奏功したのだろうか。国境警備隊のアドゥラゾコフ司令官は「ここは極めて静かだ」と語った。前政権時代は検問が厳しくてカメラの画像も調べていたようですが-と尋ねると「君の聞きたいことは理解するが返答は難しいね」と複雑な表情も見せた。

ウズベク人の国民食「プロフ」を盛り付ける料理人ら=シャフリサブスで

ウズベク人の国民食「プロフ」を盛り付ける料理人ら=シャフリサブスで

 サマルカンドから80キロ南にあるシャフリサブスに移動した。14世紀後半にサマルカンドを支配したティムールの故郷だ。その巨大像が立つアク・サライ(白い宮殿の意)跡や、ティムールの長男を安置するジャハンギール廟(びょう)を見て回った。

 案内役のコビロフ副市長推薦のウズベク料理店では、民族衣装を着た女性らの舞踊とギターに似た民族楽器ドゥタールの演奏が出迎えてくれた。お目当ては「プロフ」。羊肉や野菜を混ぜた脂っこい炊き込みご飯でウズベクの国民食だ。砂漠地帯の乾いた空気の中で食べると実にうまい。羊や鶏、牛肉の串焼き「シャシュリク」も堪能した。

カンプィル・テパの城塞跡から見下ろすアムダリヤ川右岸の緑地帯。奥の方はアフガニスタン領=ウズベキスタン南部テルメズ近郊の町で

カンプィル・テパの城塞跡から見下ろすアムダリヤ川右岸の緑地帯。奥の方はアフガニスタン領=ウズベキスタン南部テルメズ近郊の町で

 翌朝はアフガニスタンとの国境の街テルメズへ。ウズベク人の主な宗教はイスラム教スンニ派だが、この街の郊外には仏教遺跡がいくつかある。発掘者の名を冠したファヤズ・テパ(ファヤズの丘)はその1つ。日干しれんがが積まれ、中心部にある直径・高さとも約3メートルの半球状ドームが特徴的。1世紀ごろの遺跡で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)と日本信託基金により修復・保存されたそうだ。

 テルメズから約30キロ西にあるカンプィル・テパにも足を延ばした。アレクサンダー大王が築いた街の遺跡で、紀元前3~後2世紀ごろに存在したという。城塞(じょうさい)跡がある丘の眼下にはアフガンとの国境地帯を流れるアムダリヤ川。その恵みを受け、砂漠地帯とは思えないような草原が広がっていた。

 ウズベク人はとても気さくで親日的だ。首都や東部フェルガナなどには日本語学校がある。移動中の砂漠地帯で羊30頭ほどを連れた初老男性と言葉を交わした。別れ際、彼は教えたばかりの日本語で「さよなら」と返してくれた。

 文・写真 原誠司

(2018年7月6日 夕刊)

メモ

地図

◆交通
首都タシケントへは成田空港から毎週火、金曜の直行便で。
サマルカンドへはチャーター便が便利。
成田からは8月7、21日、9月18日、10月2、16日に運航。
中部空港は9月25日。
関西空港は8月14日、9月11日。
搭乗は約8時間30分~9時間50分。

◆問い合わせ
東京のウズベキスタン大使館=電03(6277)2166

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★ドルッティロバット建築群
コク・グンバス・モスクなど3つのモスクが集まる建物群で「瞑想(めいそう)の館」とも呼ばれる。
シャフリサブスの中心市街地にあり、ライトアップされた姿に引き込まれた。
歩ける範囲に本文中で触れたアク・サライ跡やジャハンギール廟もある。

★キルク・キズ宮殿遺跡
名称は「40人の乙女」の意味。
テルメズ市内にある。
現地の郷土史家アブドゥラ・ボボホジャエフさん(58)によると、中央アジア最古のイスラム王朝の1つ「サーマーン朝」が支配していた9世紀ごろの城塞造りの宮殿。
土塀で囲まれた44メートル角の正方形の敷地の四隅に塔が立ち、40人の女官が2階建ての個室に居住。
侵攻してきた遊牧民を撃退したとの伝説があり、地元住民の誇りだという。

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