秀吉が寄進した唐門や武家屋敷、
特別名勝の庭園にしばしタイムトリップ
今から約500年前の文明3年(1471)、時の戦国大名であった朝倉氏が5代103年間にわたって越前の国を治めていた。最盛期には人口1万人を超え、当時の日本では3番目に数えられる一大城下町を築き上げた。一乗谷朝倉氏遺跡はその城下町跡だ。「こちらは特別史跡・特別名勝・重要文化財と国の三重指定に認定された遺跡。三重指定は日本でも金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、厳島神社とここだけです」と話す朝倉氏遺跡保存協会の岸田さんの言葉にワクワクしながらさっそく見学へ。
この遺跡は織田信長の焼き討ちに合い、50cmもの灰に埋もれていたのを昭和42年に発掘。「まさかこんな大きな遺跡が眠っていたとは知らず、発掘前は田畑が広がり、私も遺跡の上で田を耕していましたよ」と岸田さん。そんな話に耳を傾けながら武家屋敷へ。武家屋敷をはじめ紺屋(染め物屋)、商家は見事に復原されている。「武家屋敷の通りは南から見ると通りの先が見えませんが、北から見ると通りの端まで見渡せます」と岸田さん。戦国時代の攻防の知恵が活かされた造りに大変感動。
さらに先へ進むと、川の向こうに朝倉氏遺跡の定番スポット、唐門が現れる。秀吉が朝倉家最後の当主義景を弔うために寄進したといわれる門の表には朝倉家の家紋が、裏には豊臣家の家紋が刻まれているのも興味深い。その後、日本最古の花壇がある朝倉館跡や、特別名勝の4つの庭園のひとつ、諏訪館跡庭園へ。往時の面影がかいま見える史跡に、しばしのタイムトリップを楽しんだ。
朝倉氏保存協会の岸田さんのユニークな案内に、楽しい見学となった朝倉氏遺跡。中でも興味深かったのは、武家屋敷のトイレが外向きに用を足すような造りになっていたこと。これはもちろん敵や侵入者から身を守るためで、いかに戦国時代が戦々恐々としていたかがよくわかる。
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