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【長野】吉良邸討ち入りの様子詳述 諏訪で書状展示

ジャンル・エリア : 歴史 | 甲信越  2014年01月06日

読み下し文とともに公開されている元禄赤穂事件を知らせる書状=諏訪市博物館で

読み下し文とともに公開されている元禄赤穂事件を知らせる書状=諏訪市博物館で

 「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士の吉良邸討ち入りを、高島藩江戸屋敷の役人が国もとの諏訪に早馬で伝えた書状が、諏訪市博物館で公開されている。現代に語り継がれる元禄赤穂事件について、当時の人々がリアルタイムに情報を集め、つづった貴重な史料だ。13日まで。

 書状は、赤穂浪士が討ち入った元禄15年12月14日(1703年1月30日)の翌15日付と16日付の2通。高島藩の重臣だった矢嶋八兵衛満村の子孫の矢嶋武雄さん(75)=諏訪市高島=が所有し、初めて公開した。

 いずれも筆者は不明だが、15日付の書状は、事件直後の吉良邸の様子を伝えている。「屋敷は門が開け放たれ、かけ橋がかかっている」と浪士が攻め入った痕跡が書かれ、2つの首がやりに刺さっていたのを見た者がいるとの記述も。

 一方で、浪士の人数を実際より多い70~80人とし、「確かなことは不明なので書状の中身は広めないでもらいたい」と書き添えるなど、現地の混乱ぶりがうかがえる。また、討ち取った首の1つは吉良上野介だと、追伸のように書き加えている。

 16日付の書状は、事件を知る者から情報を得たとみられ、前日の内容より詳しい。吉良上野介を討ち取った浪士たちは泉岳寺へと向かい、そのいでたちは火消し装束だったとしている。大石内蔵助ら一部浪士の名前も明らかにしている。

 この事件で吉良上野介の養子吉良義周が、襲撃を受けた際の働きが悪かったとして高島藩へお預けの身となり、同館は「諏訪との縁が深い出来事だった」と解説している。

 (中沢稔之)

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