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【岐阜】アユ漁場争い、尾張徳川家揺るがす?

ジャンル・エリア : 岐阜 | 歴史  2014年07月31日

旗本坪内氏と尾張藩の争いを紹介する古文書やパネルを眺める人たち=各務原市川島松倉町の市木曽川文化史料館で

旗本坪内氏と尾張藩の争いを紹介する古文書やパネルを眺める人たち=各務原市川島松倉町の市木曽川文化史料館で

 現在の各務原市川島地区で江戸時代後期に起きた木曽川のアユ漁をめぐるいさかいに焦点をあてた企画展が11月末まで、各務原市川島松倉町の市木曽川文化史料館で開かれている。漁民同士の縄張り争いとされてきた事件を掘り下げ、尾張徳川家を揺るがしかねない一大事だった可能性を指摘している。

 木曽川沿いの岐阜県側を領有していた旗本の坪内氏の漁民が、アユ漁で尾張藩側から妨害を受けたことに端を発する紛争。1805(文化2)年以降、坪内氏は尾張藩の許可なしでも木曽川での自分たちの漁業を認めるよう幕府に複数回訴えた。その結果、現在の最高裁判所に当たる幕府評定所が尾張藩を飛び越える形で坪内氏の漁業を認めた。

 史料館の社会教育指導員上村恵宏さん(63)はこの事実に着目する。「坪内氏という小さな旗本が、徳川御三家の尾張藩になぜ歯向かえたのか」。仮説を立てた。「もっと大きな政治的な意図が絡んでいる」

 上村さんの調査によると、当時の坪内氏は幕府老中の孫と結婚。妻は八代将軍徳川吉宗の親戚に当たる。一方、尾張藩は将軍家の跡目相続などをめぐり、藩主が吉宗と反目し合っていた。

 このため尾張藩は坪内氏との紛争を穏便に済ませたかった、と上村さんは考える。当時の木曽川は実質的に尾張藩が治めていたが、法的根拠は無かった。さらに木材の運搬や漁業など藩の利権を失うことを恐れたらしい。

 会場では、坪内氏側の訴状など30点余を展示。尾張藩が幕府の関係者に宛てた書簡の写真パネルや年表、人間関係図なども交え、事件の新しい解釈を説明している。上村さんは「単純に見える歴史の裏にも根深い背景があるという好例。地元の歴史として知ってほしい」と話している。

 この企画展は、旧川島町と各務原市の合併10周年記念。11月には、地元中学生ら1000人が合唱する「千歌祭」などの催しも予定されている。

 (斎藤雄介)

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