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【愛知】家康の書状、初公開へ 徳川美術館

ジャンル・エリア : 愛知 | 歴史  2015年07月10日

小牧・長久手の戦いの最中、徳川家康が送った書状の1通=愛西市赤目町で

小牧・長久手の戦いの最中、徳川家康が送った書状の1通=愛西市赤目町で

 徳川家康が小牧・長久手の戦い(1584年)の最中、現在の愛西市赤目町を拠点にした有力豪族の横井時泰に送った書状5通が、初めて一般公開されることになった。8月1日から名古屋市東区の徳川美術館で始まる特別展「没後400年 徳川家康 天下人の遺産」で展示される。

 これらの書状は、一貫して家康を支援した横井家がその後、尾張徳川家の重臣として特別な地位を築くことになる経緯を伝えている。時泰の子孫の一時さん(30)=愛西市赤目町=宅に伝わったものだという。

 調査した徳川美術館の原史彦学芸員によると、5通はいずれも戦いに関する時泰からの状況報告に対し、家康が感謝を伝えるあいさつが書かれている。1通には、時泰が北陸方面の情勢を伝えたことについて「比類なき手だてに候」(大変な手柄だった)とたたえている。

 当時、書状は使者が持つ「身分証明書」のような性格が強く、具体的な用件は使者が口頭で伝えていた。今回の5通も重要な史実を示すような内容はないものの、原さんは「時泰が敵対する秀吉側の軍の様子を逐一報告していた一端がうかがえる。家康にとってもこれほど心強い味方はいなかったのでは」と推測。一方で「ずっと一人に仕え続けるのも、ばくちのようなものだっただろう」と苦労を思いやる。

 小牧・長久手の戦い 織田信長の後継をめぐって羽柴秀吉と信長の次男信雄が衝突し、1584(天正12)年5月から9月にかけ、秀吉軍と信雄・家康同盟軍が戦った。どちらに味方するかの選択が全国で迫られ、最初に起きた「天下分け目の戦い」とする説もある。功績が認められた赤目の横井家はその後、尾張徳川家の重臣となり、例外的に従前の土地を領有することが認められた。

 (南拡大朗)

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