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【滋賀】「お召し列車」戦中戦後の資料公開 伊吹庁舎で発見

ジャンル・エリア : 展示 | 歴史 | 近畿 | 鉄道  2016年08月26日

お召し列車の時刻表を説明する小野さん=米原市春照で

お召し列車の時刻表を説明する小野さん=米原市春照で

 天皇陛下が地方を訪れる際に乗られる「お召し列車」の資料が、米原市春照の伊吹山文化資料館で公開されている。戦時中の1942(昭和17)年から戦後の62年までの文書で、運行や警備上の注意点も記されている。9月19日まで。

 お召し列車の運行時は、一日限定の特別ダイヤが組まれた。他の列車と並走したり、追い抜かれてはいけないなどの細かいルールがあり、当時の職員が一丸となって任に就いた様子がうかがえる。当時の列車運転士の時刻表は15秒単位で、運転技術の正確さも分かる。

 昭和天皇が42年に伊勢神宮(三重県伊勢市)で戦勝祈願した際の資料には「空襲警報」や「毒ガス」といった単語も。戦時中のため、当時の鉄道省職員が細心の注意を払ったことがうかがえる。

 戦後間もない45年11月の資料は非公開だが「米軍の進駐に伴い」との言葉から始まり、警備態勢が一部縮小されたことが読み取れる。「座談会」には、後の初代国鉄総裁で名古屋鉄道局の局長を務めた下山定則が、お召し列車の運行に携わったことも記されている。

 これらの資料は昨年夏、市役所伊吹庁舎の書庫から見つかった。発見した市歴史文化財保護課の小野航(わたる)さん(26)は「淡々と書かれているが、単語から当時の社会を読み取ることができる。米原は鉄道の町だからこそ残っていたのでは」と話している。

 (大橋貴史)

終戦直後のお召し列車の座談会の出席者名簿。後に初代国鉄総裁となった「下山定則」の名もある=米原市春照で

終戦直後のお召し列車の座談会の出席者名簿。後に初代国鉄総裁となった「下山定則」の名もある=米原市春照で

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