ジャンル・エリア : 三重 | 展示 | 芸術 2016年11月07日

半生や自身の絵について語る石垣定哉さん=東員町で
2008年に脳梗塞で倒れた東員町在住の洋画家、石垣定哉さん(69)が再起を果たしてから初の大規模回顧展が、津市の県立美術館で12月11日まで開催中だ。世界を巡り、あふれんばかりの色彩で構成される新しいシリーズ画を常に展開してきた石垣さんに、作品制作への思いを尋ねた。
-海外での制作が長い。そのきっかけは。
27歳のとき、最初にパリへ旅行した。当時は現代芸術に興味があり、学ぶならニューヨークだと思い、翌年の1975年から3年間留学した。
行ったらショックだった。今まで自分がやっていたアカデミックな絵ではだめだと。もっと強い絵を描かないと、と思った。
-作風の模索が続き、抽象的な方向へ進んだ。
落ち葉を何枚も敷き詰めるように描いた「枯葉(77年)」はそんな頃の作品。部屋にキャンバスをかけっぱなしにして、毎日、その日感じたことを込めて1枚ずつ描いていった。絵日記みたいなものだ。
行く先々で、印象に残るものに従って描いた。ニューヨークでは、無機質で直線的なビル群。南仏や地中海沿岸の辺りは、光がきれいだ。風景、温度、湿度、光。そういう感覚や体験が全て絵に出る。だから今でも、行って直接見られる風景を描いている。
読んだ小説や、どこかで見た物からイメージを膨らませることもある。そうしてるうちに、だんだん抽象に変わっていった。
-「強い色彩」が作品の代名詞にもなっている。
色は混ぜない。きれいな色にしたいから。明度と彩度だけで表現したい。
-2000年代に入り、パリを代表するキャバレー「クレイジーホース」の踊り子を描いた。
魅せられて、頼み込んで描かせてもらった。虎屋のまんじゅうも差し入れて。それまでの抽象から形を戻してみたくなって、ショーの光を意識しながらも、踊り子を画面いっぱいにたくさん描いた。
-藤原岳など地元の風景を取り上げた作品も多い。
山は自分にとっては青色。鈴鹿山脈など山の青さを見て育ってきた。きれいやなあ、と思う。見慣れた東員の風景は、他の場所を描いても頭のどこかには残って影響する。
-08年に脳梗塞で倒れ、左半身が不自由に。リハビリに励みながら、動く右手で描き続けている。
それでも描かなきゃならなかった、自分の中では。人生いろいろあって、今日あり、ってことだ。病気で変わった部分もあるだろう。作風も色が明るくなったと言われるが、それまでと同じように、人生の流れの中で徐々に変わっていっただけ。絵を見る人には、そのとき私が何を感じて学んでいたかを、作品から感じ取ってもらえたらと思う。
(聞き手・松崎晃子)
<いしがき・さだや> 1947年、旧大長村(現・東員町)生まれ。愛知県立芸大油画科卒。75年から3年間、ニューヨークに留学したのを皮切りに、パリや東南アジアなどにたびたび滞在し、精力的に制作や個展開催に取り組む。色彩の美しさに定評があり、代表作にニューヨーク・シリーズ、東南アジアを取材したパラダイス・イン・ウッズ・シリーズなど。2000年まで県展審査委員も務めた。