【スロヴァキア】社会主義のときの思い出
2011年1月31日
ぼくがブラチスラヴァにはじめて訪れたのは、1989年、まだこの国がチェコスロヴァキアと呼ばれ、社会主義だった時代のことでした。プラハには中世に紛れ込んだかのような美しさとともに、ピリピリとした厳しさを感じました。
それに対してブラチスラヴァにはちょっとでも触れたら破裂してしまうようなきな臭さがありました。1989年の冬に革命が起こり、長らくこの国を支配していた共産主義体制が崩壊するのですから、それも無理からぬものがあったのかもしれません。
このとき、早朝ホテルの近くを散歩していて、理髪店に行きました。珍しいアジアからの客に戸惑ったようですが、おもむろに切りはじめ、ぼくの頭は弁髪のように、中央部分だけを残し、あとは見事に刈り上げられてしまいました。きっとそれが歴史の教科書で見たアジア人のイメージだったのでしょう。
朝食のためにホテルに帰ると、へんてこになった頭を見て、同行していたチェコの人たちは大笑い。日本に帰るのが思いやられたのを昨日のように覚えています。いまはもうその理髪店さんはなく、ちょっとセンチな気持ちになります。
(写真=ブラチスラヴァの街には社会主義の時代に建てられた建物が目立ちます)
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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いつ、プラハ記事からブラチスラヴァに変わるのだろう?と思っていたら、クリックが必要だったのね。
やっとブラチスラヴァにたどり着きました。
今後楽しみに読ませていただきます。
皆、プラハをお気に入りに入れてた方は、そのうちブラチスラヴァに変わると思ってないかな?(いや、そんなまぬけは、僕だけかもな・・・・)
いわなやまめ | 2011年2月 2日 16:43
こんにちは。引き続きのご愛読、ありがとうございます。少しずつまたご紹介してきますので、お楽しみに!
増田 幸弘 | 2011年2月 2日 18:42