【プラハ】不思議な"ふるさと"
2012年9月10日
ぼくはプラハに4年間、住みました。住みはじめたとき、ここにずうっと住むことになると思っていました。しかし、スロヴァキアのブラチスラヴァにまた移り住み、いまは穏やかな日々を過ごしています。
プラハに行くたび、ぼくは愛憎半ばする不思議な気持ちになります。それは多かれ少なかれ、日本に対しても同じです。それをわだかまりといってもいいかもしれませんし、こだわりといってもいいのかもしれません。
室生犀星という詩人は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と詠みました。その意味で、ぼくにとって東京もプラハも「ふるさと」なのかもしれません。
久しぶりに訪れても、いつも観光客でごった返すプラハはつんとすまし顔をしています。忙しそうな人びとでごった返す東京は、白々とぼくのことを迎えるのです。近ごろではブラチスラヴァもぼくにとって、そんな「ふるさと」のひとつに加わってきたように感じています。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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