【スロヴァキア】コシツェ紀行 2(メインストリート)
2012年10月 8日
コシツェはスロヴァキアの第二の都市ですが、1918年にチェコスロヴァキア(当時)が独立するまで、ハンガリーの第三の都市として栄えていました。そのとき街はカシャと呼ばれていました。
旧市街は駅から少し離れたところにあり、多くの中世都市がそうであったように、もともと城壁に囲まれていました。旧市街の規模は首都であるブラチスラヴァを大きく上回ります。事実、中世、コシツェはヨーロッパでも有数の街でした。
旧市街は南北にほぼまっすぐ伸びる「中央通り」を中心に広がり、この通りは広場のようになっています。教会や劇場など、街の主要施設がそのなかに並んで建っているのが特徴的です。
静かな印象の街ですが、波乱に満ちた歴史をたどってきました。第二次世界大戦中、一時的にですが、チェコスロヴァキアの首都になったこともあります。歴史が複雑に入り交じり、わかりにくいエリアといってもいいでしょう。
写真=中央通り(Hlavna ulica)のにぎわい
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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