【スロヴァキア】東スロヴァキアとドイツ人
2013年3月11日
ポプラトは、タトラの山の麓にある街で、東スロヴァキアの街を旅する拠点のひとつになります。駅の右手に大きなバスターミナルがあり、ここから各地にバスの便が出ています。
駅の周辺はとくになにがあるわけでもなく、旧市街にあたるエリアはやや駅から離れた場所にあります。観光的な見所があるかというとそれほどではありませんが、多くの地元の人でにぎわい、活気を感じます。その分、スロヴァキアの素顔に触れやすいとも思います。
東スロヴァキアには、ハンガリー王国の領土でありながら、ドイツ人が入植して切り開いた街が多いという意外な一面もあります。12世紀のころからはじまったといわれています。このころの民族や国という概念はいまとはずいぶんちがっていたこともあるのでしょう。
ポプラトももともと「ドイツ人の村」を意味するドイツ名の街でした。ハンガリーでありながら、ドイツ人が発展に大きく関わり、いまはスロヴァキアと呼ばれているわけです。歴史はなかなか一筋縄にはいきません。
(写真=ポプラトの街並み)
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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