【スロヴァキア】ブラチスラヴァのユダヤ人街
2015年10月 5日
ブラチスラヴァにもユダヤ人街と呼ばれる地区がかつてありました。城の麓にあたりますが、街の城壁の外に位置するというのが、その微妙な歴史を伺わせます。
第二次世界大戦中、スロヴァキアはドイツの傀儡政権として独立しました。このため、周囲の国々同様、スロヴァキアのユダヤ人も迫害され、アウシュヴィッツの絶滅収容所などに移送されました。
ユダヤ人街の大半は、現在、ドナウ川に架かる新橋(ノヴィー・モスト)の建設の際、道路を敷設するため、壊されてしまいました。古い写真には、城の麓の路地に、旧市街にあったユダヤ教会(シナゴーグ)のドームが映っています。そのユダヤ教会もいまはありません。
ブラチスラヴァでユダヤ人の痕跡を見つけるのは、いまは容易ではありません。それはブラチスラヴァに限らず、ヨーロッパの少なくない街で感じる文化の欠落でもあります。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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