【スロヴァキア】ホロコースト
2015年10月26日
スロヴァキアのユダヤ人の痕跡を調べていると、ここでもやはりホロコーストが重く立ちはだかってきます。
ほとんど知られていないのですが、ブラチスラヴァにも強制労働のための収容所がありました。規模は小さく、分散していたこともあり、なにか施設が残っているわけでもありません。
戦争が終結する直前、1944年12月から翌3月まで、ブラチスラヴァの収容所には、おもにハンガリーからのユダヤ人が連れてこられました。その数は1700~2000人と推定されています。そして、赤軍の侵攻を防ぐための壁の建築に従事させられました。
しかし、終戦が近づくと、混乱のさなか、「死の行進」を強いられ、多くの人がそのさなかで命を落としました。
ユダヤの文化は、とくに中欧地域の歴史に深く根ざしています。経済や文化の担い手でもありました。ヨーロッパの歴史を考えるうえで、各地のユダヤ人は影のように付き添って回ります。。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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