【オーストリア】ユダヤ広場
2016年6月27日
ウィーンはユダヤ人の多い街でした。多い、とはいっても、19世紀の半ばは6000人程度だったにもかかわらず、20世紀初頭には18万人あまりにまで、一気に膨らみました。
一部のユダヤ人の富裕層はウィーンの中心部に住み、経済を牛耳るほどでした。しかし、多くはゲットーに住む貧民層でした。つまりユダヤ人と一口に言っても、二極化していたわけです。
観光客が集まるシュテファン大聖堂からさほど離れていない場所に、ユダヤ広場と呼ばれる細長い広場があります。ここはもともと中世に遡るユダヤ人居住区がありました。当時の状況は、広場にある博物館でうかがい知ることができます。
ヒトラーのユダヤ人に対する考えは、そんなウィーンで培われたといわれます。美術学校への進学を望みながらも叶わなかった屈折した感情も背景にあります。
イアン・カーショーのまとめたヒトラーのぶ厚い評伝(白水社刊)を読むと、ユダヤ人をめぐる多くの謎が解けてきます。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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