【スロヴァキア】1907年の地図
2019年6月17日
1907年につくられた大判の地図を見ました。小中学校の授業で使う巻物のようになっているものくらい大きなものです。
つくったのはブダペストの業者で、左肩に誇らしげに書いてあります。当時はまだハプスブルク家が支配していた時代で、オーストリア=ハンガリー二重帝国と呼ばれていました。ブダペストはウィーンと並ぶ首都でした。
チェコスロヴァキアの独立は第一次世界大戦後の1918年ですから、地名もドイツ語やハンガリー(マジャル)語の呼び名が記されてます。ブラチスラヴァはハンガリー語の「ポジョニ」ですし、同じくコシツェは「カサ」と似ても似つかない、まったく別の地名になっています。
チェコのほうを見ると、ブルノはドイツ語の「ブリュン」で、チェスキー・ブディヨヴィツェは「ブドヴァイス」です。イフラヴァは「イグラウ」で、ブルノと同じくらい地図上で大きな扱いを受けているのも興味深いです。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
投稿についての注意事項
- このブログへのご質問については、内容によってお答えできない場合や、回答に時間がかかる場合があることをご了承ください。