【スロヴァキア】中世の城壁
2020年4月20日
ヨーロッパの少なからぬ街が中世、城壁で囲まれてました。プラハもそうですし、ブラチスラヴァもそうです。
壁にはいくつかの門があり、夜間は扉が閉じられていました。外敵の侵入から町の人たちを守る役割のほか、人の出入りをチェックして外から来た商人に税を取り立てる役割もありました。
ブラチスラヴァの城壁が一部、残っています。1~2メートルはあるずいぶんぶ厚く、立派な城壁です。建築は13世紀にはじまったと言われ、合わせて4つの門がありました。現在はミハエル門ひとつが残っています。
ブラチスラヴァではこの城壁の外、つまりは町の外側にユダヤ人街が形成されていました。よそ者扱いだったわけです。18世紀になって無用の長物になった壁が取り壊され、ユダヤ人の居住制限もなくなります。
第二次世界大戦中、ブラチスラヴァに住むユダヤ人は強制収容所に連れられていかれました。ユダヤ人街があった場所は戦後、道路がつくられ、壁が防音壁のように残ることになりました。
- 増田 幸弘
1963年東京生まれ
スロヴァキアの都・ブラチスラヴァ在住のフリー記者。
ヨーロッパ各地を取材しながら、日本でも取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆している。
「プラハのシュタイナー学校」(白水社)や「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版)などの著作がある。
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