網走湖を眺めながら、酒を飲むのである
2015年11月30日
「ドクター、僕はもうお酒を飲んではダメなのでしょうか?」。「100%ダメですね。休肝日を設けるレベルではダメ。しばらくウルソ(薬)を飲み続けてください」。というわけで、かつてはガンマGTP2000を超えるということを自慢にしてきた僕も、ついにアルコールを自粛しなくてはいけないことになってしまったのだ。
そんなこんなの僕ではあるが、いつまでも酒が飲めないなどと言ってる場合ではなく、札幌から車で約6時間、流氷や網走番外地で知られる道東の街、網走へ取材に向かった。
11月中旬ではあるが、すでに道路のいたるところに雪が積もっている。網走はすぐ近くに東北海道の拠点空港である女満別空港があり、飛行機を利用してくることもできる場所で、知床国立公園や阿寒国立公園にも日帰りで行くことが可能なところだ。僕たちは取材のために網走国定公園のほぼ中心、網走湖湖畔にあるホテル網走湖荘におじゃました。ホテル網走湖荘は昭和22年に創業したリゾートホテル。創業者の故浅利栄一さんは敗戦と失望の中で自然を愛し、網走開発を決意したと伝えられている。
僕たちがこのホテルの歴史を伺ったのは、その栄一さんの後を継いだ現会長浅利清一さんだ。創業者が急死したため、当時まだ20代で教育委員会に勤務していた清一さん(84歳)が後を継いだそう。平成12年にはハード、ソフトともバリアフリーを高く評価され、「人にやさしい地域の宿づくり賞」(厚生大臣賞)を受賞するなど、全国的にも知られたリゾートホテルの一つになっている。温泉も料理も二重丸。僕はドクターの顔を思い浮かべながら、少しだけ酒を飲んだ。
- 浅井 精一
いつのまにかすっかりオヤジになってしまったことに気がついた昭和34年生まれの男。函館出身で母校の函館西高の大先輩が北島三郎、一年後輩が辻人成(といっても面識は無い)。札幌の大学を卒業後、タウン誌編集や10年以上ホテルマンを経験するなどして、現在は編集プロダクション(株)カルチャーランド(札幌・社員24人)代表。手塚治虫マニアであること、昭和40年代のプロレスファンであることで、ごく一部に有名。
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