札幌、鹿児島、そしてビールがうまい!
2016年1月26日
昨年の12月、明治維新150周年を記念したセミナーがあり、取材のため参加。実は北海道開拓で活躍した偉人たちの多くが薩摩の人たちであり、そういう意味で北海道と鹿児島には、深い絆があるというお話なのだ。
札幌の大通公園に行くと銅像があるが、黒田清隆はその代表的人物。当時のアメリカ合衆国農務長官ケプロンを日本に連れて来たり、札幌農学校で教壇に立ったクラーク博士を招いている。それにこの黒田清隆を頼りながら北海道に貢献、尽力したのが永山武四郎。ほかにも札幌農学校初代校長の調所廣丈、森有礼、松方正義、大久保利通など、みんなみんな薩摩の人たちなのだ。
そして、ここで忘れてはいけない人がいる。このセミナーでこの話をしてくれた落語家の桂竹丸師匠が、10年ほど前に鹿児島市内を「サッポロビールは鹿児島県人がつくった」という意味のフレーズが書かれたバスが走っているのを見掛けたそう。
これはどういうことかというと、かつて北海道にビールの醸造所を造ることをことを主張したのが、鹿児島県人の村橋久成だったということだ。ビール工場ができるということは道ができ、鉄道ができ人も産業も増える。村橋久成は命をかけて札幌にビール工場をつくったのだ。
そしてその明治にできたビール工場を歴史遺産として残しながら近代建築と融合させた複合商業施設がサッポロファクトリー(札幌市中央区北2条東4丁目)だ。巨大アトリウムを中心に、ショップ、レストラン、シネマコンプレックス、ホテルなど、見どころいっぱい。
明治9年創業当時の味を再現して作られた開拓使地ビールも楽しめる。地元ファミリー客から観光客まで、めちゃ寒い北海道も、ここに来るといつもポカポカあったかで、のんびり寛げるのだ。
- 浅井 精一
いつのまにかすっかりオヤジになってしまったことに気がついた昭和34年生まれの男。函館出身で母校の函館西高の大先輩が北島三郎、一年後輩が辻人成(といっても面識は無い)。札幌の大学を卒業後、タウン誌編集や10年以上ホテルマンを経験するなどして、現在は編集プロダクション(株)カルチャーランド(札幌・社員24人)代表。手塚治虫マニアであること、昭和40年代のプロレスファンであることで、ごく一部に有名。
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