魔女の塔(3)
2014年12月22日
16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパで起こった魔女迫害はドイツでも例外ではなかった。多くの町で多くの人々が魔女として処刑された。処刑場は町の広場であったり、町外れだったりした。その時代の名残だろうか、ドイツにはガルゲンベルク(絞首台の山)という地名がいくつも見受けられる。
☆魔女の処刑を見物する人々。彼らの無表情な顔が恐ろしい(ケルン)
☆1555年、デーレンブルク(ハルツ地方)で火刑にされた「魔女」
20世紀になると、このような負の歴史と真剣に取り組む人々が出てくるようになった。自らの町が犯した過ちを償い、魔女として犠牲になった人々のために鎮魂の碑を作る動きが始まったのである。それらの碑の多くは市の援助と市民たちの寄付によって作られたものである。
☆犠牲になった人々の名を刻んだプレート(イトシュタインの城壁)
☆多くの犠牲者をシンボライズしたという像(エッシュヴェーゲ)
☆ハイデルベルクの大学構内にある魔女の塔。入口にプレートがある
☆かつてここに魔女の塔があったことを伝えている(オーストリア・ザルツブルク)
それぞれの思いが仮託された鎮魂の碑だが、中でもゲルンハオゼン(ヘッセン州)の魔女の塔のそばに作られたブロンズ像「叫ぶ人々」は強烈な印象を与える。樹木に見立てた幹から浮かび上がるいくつもの顔は何を叫んでいるのだろう。
☆ゲルンハオゼンの魔女の塔。犠牲者55名の名前が刻まれたプレートがある
☆「叫ぶ人々」(1986年作)
☆「叫ぶ人々」
次回をお楽しみに。
- 西村佑子(にしむら・ゆうこ)
うお座。早稲田大学大学院修士課程修了。
青山学院大学や成蹊大学の講師を経て、現在はモアビートプロモーションの「ドイツセミナー」講師。
これまでに「グリム童話の魔女たち」展(栃木県いしばし町グリムの館)の企画・監修やドイツ魔女街道ツアーの同行講師、
薬草専門誌に連載記事を掲載するなど、ドイツの魔女と薬草にかかわってきた。
主な著書に『グリム童話の魔女たち』(洋泉社)『ドイツ魔女街道 を旅してみませんか?』(トラベルジャーナル)、
『魔女の薬草箱』『不思議な薬草箱』(いずれも山と溪谷社)、『ドイツメルヘン街道夢街道』(郁文堂)など。