鳥羽の離島・菅島の「島っ子ガイド」とのふれあい・感幸の旅
2014年12月11日
三重県鳥羽市の離島、菅島(すがしま)で子どもたちのガイドによる「島っ子ガイド」ツアーが毎年行われている。
始めた当初は高学年だけの対応だったものが、今は、小学1年生から6年生まで全校児童がガイドとして島を案内してくれる。
全校児童といっても、この島の総児童数はわずかに20数名。各学年平均しても3~4名の離島の小さな学校である。
そんな子どもたちとのふれあい旅、それは本当に幸せを感じ、感動させられる観光=“感幸”であった。
鳥羽マリンターミナルから菅島までチャーター船で菅島に向かう。島では子どもたちが今か今かと待ち構えていた。
そして、大きな声で「菅島へようこそ!」と何度も何度も繰り返し叫んでいる。大歓迎の挨拶だ。
船から最初の人が降りてから最後までずっと。もう、それだけで旅人の心はほぐされる。
まずは、子どもたち全員で歓迎のあいさつ、そして、いくつかのグループに分かれて、それぞれのグループでコース紹介とそれぞれの自己紹介。
まだ出会って数分しか経っていない。初めて会う大人たちの前で名前と好きなものなど、子どもたちが自己紹介。
緊張して忘れてしまったり、うまく話せない子もいるけど、なんとか頑張った。
そして、子どもたちの自己紹介の後は、参加者全員も自己紹介。自分の呼び名を伝えて、ふれあい旅が始まった。
子どもたちは、夏休みにこの「島っ子ガイド」で説明する内容を調べて、この日の準備をしてきた。
テーマは先生が与えるものではなく、自分が好きな菅島、自分が伝えたい菅島を選んでいる。
素晴らしいのは、それを1年生のまだ本当に幼き子どもたちもやってること。
多分、知らない人の前で話をするなんてしたことなどないと思う。けれど、必死にメモを見ないように、説明をしてくれる。
自分が好きな夕日のスポット、この島を守る神社のいわれ、海女さんの浜辺のこと、この島の方言、島のシンボル・灯台のこと、などなど、
島めぐりは飽きることなくポイントポイントで子どもたちがガイドをしてくれる。
学校の先生も付き添っているけれど、口を出すことはしない。全てが子どもたちに任されている。
途中、漁から戻る家族が漁船から手を振っている。それに応える子どもたち、そして参加者たち。こんなふれあい旅、経験したことがない。
島めぐりは決して平坦な道ばかりではない。山を登り、浜辺に下り、また上がる。ご年配の参加者には厳しいところもある。
けど、そんなとき、子どもたちは、誰から言われるでもなく、歩みが遅くなったおばあちゃんの背中を押し、
知らず知らずに手をつないで引っ張っていってくれる。
そんな微笑ましい光景が「島っ子ガイド」のおもてなしである。
島めぐりを終え、学校でみんなと一緒に食事。
子どもたちは給食、参加者はお弁当だけど、席は交互に座り、子どもたちと大人たちの会話がはずむ。
お礼の歌ということで、子どもたちが作詞したという菅島の歌を大きな声で歌ってくれた。
「島っ子ガイド」は子どもたちだけのツアーイベントではない。
地元の方たちも参加して、伊勢海老汁のふるまいや、菅島名物の「サメのたれ」(サメの干物)の試食や販売もしてくれる。
この日は島全体でわれわれをお迎えしてくれる気持ちが存分に伝わってくる。
各グループで、そして全員で記念写真。この日、初めて会ったばかりの仲間たちが一体となる。みんないい笑顔だった。
そして、帰りの船の時間。子どもたちとのお別れとなる。誰もがもっと一緒にいたいと思っていたと思う。
子どもたちが全員におみやげを配り、握手と笑顔で感謝の気持ちをお互いに伝え、お別れの挨拶をしている。
「ありがとう。また会おうね。また来るからね。」
ふるさとに帰ってきた子どもや孫たちとの別離のような港の光景。
船が動き出した。子どもたちが全員で手を振ってくれる。船からも大きく両手を振って応えるツアー参加者たち。
出会い、ふれあい、あっという間の別れ。旅ってなんでこんなにも切ないんだろうと思う。僕の目には涙があふれていた。
船が動き出し、ふと外を見ると、子どもたちが防波堤を全力で走り追っかけてきている。
6年生の2人だけかと思って手を振っていたら、後ろから全員が追っかけている。
朝会った時は、あんなにも恥ずかしそうに緊張していた子どもたちが、僕らとの別れを惜しんでくれている。
防波堤の端っこまで来たらそこからは離れるばかり。それでも両手で手を振る子どもたち。
まるで映画のラストシーンを見るような感動的な光景に、僕は正直、心のなかで号泣していた。
また、来年会おう。子どもたちとのふれあいでこんなにも感動出来る旅はない。
この「島っ子ガイド」を菅島小学校と一緒になって企画、指導している海島遊民くらぶ(鳥羽市)の皆さん。
この人たちの笑顔もこの島っ子ガイドを素晴らしい旅に仕上げてくれている。“感幸”をありがとう。
- 田中 三文 (たなか みつふみ)
愛知県豊橋市生まれ。
出版社勤務を経て、現在は三菱UFJリサーチ&コンサルティング 政策研究事業本部 上席主任研究員。
愛知大学地域政策学部非常勤講師(観光まちづくり論)
地域を盛り上げる観光事業や集客計画など、手がけてきたプロジェクトは数知れず。
2012年より2014年まで昇龍道プロジェクト推進協議会・台湾香港部会長を務め、
同エリアのインバウンド促進計画や外国人受入環境整備などにも力を注いでいる。
旅と写真とロックを愛する仕事人で、公私ともに、さすらいの旅人として各地を巡っている。
日本の真ん中に位置する中部北陸地域の形は、能登半島が龍の頭の形に、三重県が龍の尾に似ており、龍の体が隈無く中部北陸9県を昇っていく様子を思い起こされることから同地域の観光エリアを「昇龍道」と呼んでいます。
この地域には日本の魅力が凝縮されており、中部北陸9県が官民一体となって海外からの観光客誘致を促進する「昇龍道プロジェクト」も好調です。このブログでは、「昇龍道」の四季折々の姿を写真と文章で紹介していきます。
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