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コラム カメラマンが行く!プロゴルフトーナメント

中京テレビブリヂストンレディース

中京テレビブリヂストンレディース

優勝の野村敏京、ブリヂストン杯を手に。

優勝の野村敏京、ブリヂストン杯を手に。

 震災で一時中止が続いていたものの女子ツアーもすでに1/3近く終了、中京テレビブリヂストンレディースに行ってきた。震災でしばらく女子の試合が中止になっていたため私にとって今年初めての女子トーナメント。

 18歳の新人野村敏京(「のむらはるきょう」と読む)が通算13アンダーでプロ初出場初優勝を飾った。 初日から首位を独走3日間でボギー1つという完璧なゴルフで完全制覇。18歳178日は日本女子ツアー歴代2位の年少記録だ。 日本人の父と韓国人の母を持ち日本で生まれ韓国で育つ、昨年米ツアーのQTで40位に入り今年プロ転向、現在はアメリカ下部ツアーで活動、デイトナビーチ招待で優勝した。昨年のこの大会はアマチュアで出場し18位タイ、今回は主催者推薦枠での出場だ。

初優勝が懸かっていても新人とは思えぬ悠然としたプレーの野村敏京。

初優勝が懸かっていても新人とは思えぬ悠然としたプレーの野村敏京。

 「できればアマチュアの時にプロの試合で優勝したかった」という野村、女子ながら憧れはタイガーウッズ、先生から「男子のようなゴルフを身につけろ、将来必ず結果が出る」といわれ猛練習、持ち玉もドローからフェードに変えスイングもプレーも男子プロのそれを目指した。早くもその「結果」を手にした形だ。今大会で優勝したことにより登録すれば1年間日本のツアーに出場できる、「米国は試合が少ないので休みの時には日本に来て試合に出たい」と意欲的だ。

2番ショート、アンソンジュが先行バーディーで1打差に迫るが…

2番ショート、アンソンジュが先行バーディーで1打差に迫るが…

 日本と韓国と米国、それぞれどういう所か?「韓国は家、日本はゴルフの家、米国は夢の家」と語り目標は世界ランク1位、特に米国では絶対賞金女王になりたいとキッパリ夢を語った。女子ツアーに期待の新星が現れた。
2番ショートホール、アンソンジュが先行バーディーを取り1打差まで迫った、が6番ロングで勝負にでたのか2度のOB9打を叩き自滅・・・
その時の気持ちを聞かれると「あまりいい気持ちではなかったけれど、優勝のことを考えるとこのまま守れば勝てると思った」
途中雨で中断した時はどうだった?「3日間で一番緊張した、このまま中止になるんじゃないかと…」この雨で流れが変わるかと思われたが再開後もバーディー2つ取るなど野村のプレーは抜群の安定感。

優勝を決めアンソンジュと抱き合う野村敏京。「優勝したら食事に行こう」と約束していた。

優勝を決めアンソンジュと抱き合う野村敏京。「優勝したら食事に行こう」と約束していた。

優勝を確信したのは何番か?「16番のパーで確信したが別に緊張もしなかった、自分のゴルフに自信を持っていたので終始安心してプレイができた。とにかく“守れば”優勝できると思って攻めるよりも守る事に徹した」
状況にもよるが最終日スタート時点で強敵アンソンジュと2打差、よく「守っていてはダメなので攻めました」ということは聞くが「守れば優勝できる」というのは余り聞いたことがなかったのでインタビューも新鮮に聞こえたのが印象的だった。それだけ自分のゴルフに自信を持っていたのだろう。
17歳で米国に渡った理由は?「日本はQTに参加できるのが18歳から、米国は17歳からなので1年間もったいないと思った」
アマチュアの時との違いは?「アマチュアの時はミスすると怒ったり、プレーが雑だったがプロになってからは1打々慎重、丁寧になった。“だってプロはお金がかかっているでしょ”」と笑いお茶目なところも。18歳の新星はこれからどんな輝きを見せてくれるだろうか。

ゴルフ観戦後に・・・

国道153号飯田街道に架かる巴橋、この奥が香嵐渓。

国道153号飯田街道に架かる巴橋、この奥が香嵐渓。

 昨年、旧名鉄西中金駅を紹介したが今回はここ石野コースから東に10キロの所にある足助町を紹介しょう。足助町というと何かと香嵐渓の紅葉ばかり注目されがちだが、よく調べてみると非常に歴史的な街であることがわかる、その歴史にちょっぴり触れてみよう。

 この中京ゴルフクラブ石野コースの近くを通る飯田街道こと国道153号、その昔は中馬街道と呼ばれ三河湾で作られた塩を信州に運ぶ「塩の道」だった。中馬とは当時の馬稼ぎ人たちの組合「中継馬」が言語とされ、年間5000頭を超える馬が塩を担ぎ行き来したと言われる。古く縄文時代は石を運ぶ道であり、戦国時代は武田の兵がこの道を行軍、また善光寺参りの善男善女も利用したことから「ぜんこうじ街道」とも。

蔵が立ち並ぶマンリン小路。白と黒のコントラストが美しい。

蔵が立ち並ぶマンリン小路。白と黒のコントラストが美しい。

 この中馬街道の中心的宿場町が足助町だ。以前は「東加茂郡足助町」だったが平成17年、平成の大合併により周辺の町村とともに豊田市に編入され現在は「豊田市足助町」になっている。江戸時代は中馬街道の中心的宿場町として、三河、尾張、美濃を結ぶ交通の要衝として栄える、明治時代は商業町としても繁栄したが、明治40年に国鉄中央線が美濃に開通するとその大規模高速輸送の波にのまれ宿場町の役割りを終えた。

 足助の町は足助川沿いに約2kに渡り続いていて、香嵐渓のある宮町(宮平)、マンリン小路など蔵の連なる新町、足助資料館や足助陣屋のある本町や中馬館のある田町など、何処に行っても昔情緒がいっぱいだ。古い町並みといえば妻籠や馬籠が有名だが、ここ足助もそれに負けないくらいに良い。観光が町南部の香嵐渓に集中しているためか?古い町並みのある北部にはみやげ物店や食べ物やなどが立ち並ぶことも無く、昔のままひっそりと佇んでいるという感じで、時間がゆっくりと流れている。一度香嵐渓に出かけた折には足助の町並みの方にも足を向けてみては如何だろう。

2011年06月07日

コラムフォト

取材担当プロフィール

山之内 博章 やまのうち はくしょう (はっちゃんと呼ばれています。)
1967年2月24日名古屋市生まれO型の魚座です
ゴルフフォトグラファーをやってますが、他に人物や商品も撮ります。
特技?なんだろ?カラオケは大好き。