2009年03月10日
午前9時ちょうど。ジャカルタの東南アジア諸国連合(ASEAN)事務局のホールを飛び出した。会議開始を確認し、夕刊向けの作業をするためだ。作業を終えて会場に戻ると、扉が閉じられ屈強な警護官が立ちはだかっている。何を言っても黙って首を振るだけで扉を開けてくれない。インドネシア語で抗議している記者もいたが、結果は同じだった。
ホール内には、1時間前から確保していた場所にカメラが置いてあったが、ロビーにあるモニター画面の前でメモを取るはめになった。同じ目に遭った記者たちが並び「ユドヨノ大統領がいると、こうなるんだ」とつぶやく。
「大統領のいる会合はいつも取材が面倒なんだ」。地元記者の愚痴を聞きながら、「モニター画面の方が音声が鮮明で内容が聞き取りやすい。よりよい記事が書ける」。そう思い込むことに決めた。 (吉枝道生)