2012年08月06日
4畳半より、少し大きめだろうか。ベッドと机が置かれた簡素な部屋には、小さな窓が1つだけ。公安当局が逃走防止のため張り巡らせた壁や天井のネットには、ほこりが積もり始めていた。
盲目の人権活動家、陳光誠氏の母親は、中国山東省東師古村の自宅で、光誠氏のベッドに小さな背中を丸めて座り、消え入りそうな声で話し始めた。
光誠氏は乳児期、高熱で視力を失った。だが、人一倍に正義感と負けん気が強かった。小学生のころ、体の大きないじめっ子に立ち向かい、毎日のように、泥で服を汚して帰宅した。「目が見えないし、田舎者だけど、強くなる。人の役に立ちたい」が口癖だった。
言葉通り、1人っ子政策のため地元政府が強制した中絶や避妊を告発。その後の服役と軟禁に対し、母親は「息子は間違っていない。当局には人命を尊重する意識が足りない」と語気を強めた。
光誠氏一家の渡米後、母親は1人で暮らしている。数日に一度、光誠氏から電話があるが、「当局が盗聴している。込み入った話ができない」と嘆く。
最愛の息子だが、再会は望まない。「中国に戻れば、また迫害を受ける。米国で安全に暮らしてほしい」と願う。取材中も、家の入り口に何度も警戒の目を向け、「当局は本当に怖い」と声を潜めた。 (今村太郎)