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ロンドン ショータイム進行中

2012年11月18日

 ロンドンの地下鉄の中は退屈しない。支局へと向かう通勤の電車。先頭車両に乗っていると、静かな朝の車内に歌声が響いてくる。ところが見回しても、口を動かしている人は一人もいない。

 空耳かと思ったが、やはり、聞こえてくる。けっこう大きな声だ。「壁越しって感じだな」と思ったことで、声の主に気づいた。壁の向こうで姿の見えぬ運転手だった。とても気持ちよさそうにずっと歌っている。

 別のある日。乗り込んできた少年は車内に設置された金属の棒に両手を伸ばすと、懸垂を始め、やがて片手懸垂へと移った。

 また別の日。十代後半の少年がやにわに体を前後左右に揺らし始めた。気づくと、手も動かしている。ガラスに映る自分の姿を見て、シャドーボクシングをしているのだ。足元のバッグにボクシングのグローブが入れてあるのが見えた。

 駅での乗降時は、さすがにやめるが、すぐにまた始まる。「シュッ、シュッ」。小さな声を発しながら、素早い動き。一生懸命な彼には悪いけれど、なんとなくユーモラスだ。

 じっとその動きに見入って楽しんでいると、別の視線も向けられているのに気づいた。若い黒人女性と目が合うと、二人でにやり。ひと言も交わしていないが、心が通った気がしてうれしくなった。 (有賀信彦)