2012年12月27日
事務所を整理していたら、ほこりをかぶった冊子を見つけた。
二〇〇二年の日中国交正常化三十周年で、本紙と北京日報が開いた日中シンポジウムの企画と報道の内容をまとめたもの。一九八九年以来の交流の成果を、新聞協会賞に応募するために作成した資料でもある。
当時上海にいた私も取材者の一人として名を連ねた。盛り上がったのはシンポだけではない。三十周年の企画では、日中交流のシンボルだったパンダやトキを追い掛けて、中国の奥地にも出掛けた。
あれから十年。状況は大きく変わった。両国の経済規模は逆転し、くすぶっていた尖閣諸島問題に火が付いた。九月の日本政府による国有化を機に日中関係は一気に悪化。
北京では四十周年記念の式典も中止。反日デモに追い立てられるように、予定していた四十周年記念の企画を掲載する雰囲気もなくなっていた。
八月までなんとか続いていた文化交流もパタリと止まった。官僚主義が染み付いた中国では、上から下まで「日本」を避けるようになった。人事が動く共産党大会を控えていることも、彼らの行動を慎重にさせている。
七月に見たオペラ「アイーダ」では、競演した日中の歌手がラストで抱き合うシーンにぐっときた。次に感動を味わえるのは、いつだろうか。 (渡部圭)