2013年05月15日
起伏ある夜道を走る途中、乗っていた長距離バスが止まった。行き先は韓国南部の山村、宜寧(ウィリョン)だった。
バッテリー上がりらしく、峠近くの小さな食堂脇で動かなくなった。客は4人だけ。外は闇。室内灯も消え、前のドアから冷気が入り込んでくる。
しかし50代とおぼしき男性運転手は別のバスを手配するとか、整備不良を客に謝る気配もない。数十分後、営業を終えていた食堂に入ろうと誘う。自販機で紙コップのコーヒーをおごってくれた。彼には余裕が感じられ、不安が消えた。
すると外から突然、運転手の大声がした。「早く出てこい」。通り掛かった別のバスを止めている。私たちは急いで飛び乗った。
着いたのは午後10時すぎ。1時間以上遅れたのに取材相手の男性は笑顔で待ち、鍋料理までおごってくれた。翌日、韓国語の「メミル」ではなく、日本語のまま「宜寧そば」と呼ばれる地元の名物料理もいただいた。
日本帰りの亡き女性店主が半世紀前に名づけ、店に出した。当地では植民地下の歴史から、日本語由来の言葉は純粋な韓国語に変えて使う傾向がある。だが、宜寧の人は頓着せず味わい続け、今では都会に出た人の郷愁も誘う名前だという。
それぞれの泰然さを感じ、コーヒー、鍋も、そばもうまさが増した。 (辻渕智之)