2013年06月24日
ソウルから列車で1時間ほどの京畿道水原市郊外に、特別支援学校「慈恵(ジャヘ)学校」はある。幼稚園から小中高校、専攻科まで、知的発育に遅れがある子どもら100人ほどが通っている。
韓国障害児教育の草分け的な学校は1973年に、旧宮家の梨本宮守正王の長女で、20年に李王朝の皇太子と結婚した李方子(りまさこ)さん(1901~89年)によって開かれた。
朝鮮半島を植民地支配していた時代。国策結婚に戸惑い、それでも数日後には日本と朝鮮半島との「礎になる」と覚悟を決めたと、自著につづっている。
日本に暮らしている時から、福祉に携わっていた方子さんは、63年にソウルに移った後、障害児教育に力を注いだ。
慈恵学校の金声漢(キムソンハン)教監(教頭)は「まず先導者が私立学校を開き、それから公立学校ができるようになった」と、方子さんの果たした役割の大きさを語ってくれた。方子さんは資金集めに自ら奔走し、バザーも開いたという。
記者はこれまで何度「日韓の懸け橋、礎になりたい」と口にし、すぐ忘れてしまっていたことか。うなだれる記者に、校内に掲げられた方子さんの写真は語りかけてくれるようだった。「いつ礎になるための行動を始めるのか? 今ではございませんか!」 (篠ケ瀬祐司)