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ソウル 割り切れぬ戦後処理

2013年08月28日

 勝訴会見の後、報道陣が去った弁護士会館の一室。原告から尋ねられた。「ところで今日の裁判は勝ったのか?」。原告最高齢90歳の彼は2時間前の判決を忘れていた。

 戦時中に日本の製鉄所で強制労働させられた韓国人元徴用工らが、損害賠償を求めた訴訟。ソウル高裁は日本企業に初めて賠償を命じ、注目を集めた。

 前日、自宅を訪ねた際、体調が悪く、物忘れがあると自ら話していた。翌日が判決だということも忘れていたが、昔の日本人の思い出話は延々とした。

 植民地下、彼は19歳で故郷の韓国中部・論山(ノンサン)を離れ、平壌の炭鉱へ。細身の小さい体で働く彼を「労務課長の入江さん」がかわいそうだと見かねて、鋳物工場に職場を移してくれたという。「あのまま重労働の炭鉱にいたら、私は生きていたか。入江さんのご恩を忘れない」。懐かしむように目を閉じた。

 少年のころ故郷で「鹿児島出身の中馬(ちゅうま)さん」が経営する商店で2年間働き、日本語を身に付けた。平壌から移った大阪の製鉄所では「日本語がうまく話せたので、強制労働の中でも職場で信用を得られた。中馬さんのおかげです」と語った。

 日本人への感謝を忘れない彼が、日本政府や日本企業と長年闘わなければならなかった戦後処理に割り切れなさを感じ、悲しくもあった。 (辻渕智之)