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慶山 苗生産伝えた日本人

2013年09月05日

 「ちょうど100年前の1913年。日本人が桑の接ぎ木苗の生産をこの地に伝えた。彼らの家が残っている。見ていってほしい」

 韓国南部の慶山(キョンサン)市で取材帰りに誘われた。韓国では植民地時代に建てられた日本人家屋は敵産家屋と呼ばれ、「恥辱の遺産」でもある。だが苗木農家の朴龍護(パクヨンホ)さん(68)は積極的に案内してくれた。

 広がる苗木畑の中から、瓦屋根の一軒家や洋風の2階建ての家が現れた。日本人地主らは終戦後に引き揚げた。人けはなく、せみ時雨の中に「昭和」がひっそり残っていた。コバヤシ、シノハラ、モトヤマ、サンゴ。朴さんは地主の名前を口にした。彼らの出身地や以後の消息を知る村人はおらず、記録もないという。

 慶山は今、果樹の接ぎ木苗で韓国最大の産地となった。朴さんの父は朝鮮戦争に出征して戻らず、母が苗木生産に励んで朴さんと妹を育て上げた。

 地元の苗木協会は生産100年史を編さんする。「コバヤシ氏らの足跡を載せたい」と情報集めを頼まれた。「日照量が多く、川の氾濫で肥沃(ひよく)なこの土地に適した苗木生産を日本人が持ち込み、根付いた。その史実を残したい。彼らの子孫がどこにいるか分かれば会いに行きたい」。朴さんたちの気持ちがコバヤシ氏らの子孫に何とか伝わらないものかと思う。 (辻渕智之)