2020年07月26日
旧ソ連のウズベキスタンで、国民が日記を付けることが義務化された。当局が新型コロナウイルスの感染経路を知るためという。モスクワでこの報道に接し、考えさせられた。
日記を「危機の時代の文学」という西欧の評論家もいる。社会混乱や疫病のさなか、芸術家や王侯貴族がつづった日記は興味深い。
例えばルネサンス末期の画家ポントルモ。毎日の献立、自身の健康など内容が細かい。飾り気のない言葉が、かえって書き手の心の機微を映し出す。時代の空気も感じられる。
ウズベキスタン国民はいま、日記を書くのに大忙しだろう。その日会った人。自身の体調。政府が強制するのは問題だが内容は時代の記録になるのかも。
新聞の三面記事も「社会の日記帳」と呼べそうだ。ロシアでも紙面を新型コロナの雑報がにぎわしている。「抗ウイルス効果がある」とのうわさで特定の食品がバカ売れしているとか、教会の司祭が疫病封じ込めの儀式をしたとか。
雑報だって集まれば疫病の時代を映す鏡になるのかもしれない。ささいな出来事にこそ目を凝らさねば。 (小柳悠志)