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中国・丹東 避けがたい記憶風化

2021年01月11日

 遼寧省丹東市の郊外で「『日本碑』にはどう行くのか?」と住民に尋ねると、「なんだそれ?」と返された。同市では1904年、日露戦争での最初の本格的な陸戦「鴨緑江会戦」があった。「鴨緑江戦蹟(せんせき)」碑は現地では「日本碑」と呼ばれるというが、具体的な場所を知る住民に出会うまで少し手間取った。

 雑木林を通る急な坂道を登ると、日本山と呼ばれる「九連城」頂上に着いた。眼下を蛇行する鴨緑江の向こうは北朝鮮だ。石碑は「鴨緑江戦蹟」の文字がかすれ、背面にある漢字とカタカナの説明は判読が難しい。丹東市当局が設置した説明書きには「1916年に日本満州戦蹟保存会」が設置したとある。

 山を下りて今度は約1キロ離れた「ロシア墳墓」を探す。桃や栗の果樹園を抜けた小高い丘の頂上に、十字架をあしらった墳墓が唐突に現れる。塀に囲われた20メートル四方ぐらいの敷地内に、戦没したロシア兵のものとされる墓石が10基ほどある。兵士の名前とみられるキリル文字以外は、何の説明もない。

 中国にとって日露戦争は異国の軍同士が戦ったにすぎない。残念ながら記憶の風化は避けがたいようだ。 (中沢穣)