
「アラーの他に神はなし」-。イスラム教の礼拝堂。コーランが朗々と読み上げられる。人々の声は43メートル以上あるドームまで駆け上がり、天の声となって降ってきた。
トルコ西北端の都市エディルネは、14、15世紀にかけオスマン帝国の首都だった。今も古都の香りが残る。そのシンボルが1569~75年に建てられたセリミエ・モスクだ。モスクは周辺施設を含め、今年6月、世界遺産に登録され、信者と観光客とでごった返していた。
ドームは直径31メートルを超える。鉛色の外観はゴツゴツした印象だが、内部の装飾は寒色系でまとめられている。外は35度近い暑さだったが、中が涼しく感じたのはそのせいもありそう。

建てたのは大建築家のミマル・スィナン(1490~1588年)。生涯に81のモスク、51の橋などを造った。案内してくれたデブリム・ギュレチさん(51)もスィナンに魅せられた1人。「数多くの建築物に携わりながら、どれにも斬新なアイデアがある。トルコのミケランジェロ、いや神様だよ」
セリミエ・モスクは彼の最高傑作。華麗なタイル装飾、大小さまざまなドームの配列、大理石や木彫りの組み合わせの妙。外観から細部まで見どころは尽きない。
スィナンには、人間くさい逸話もある。モスクには101種類のチューリップが描かれているが、1つだけ逆さまの花がある。後世はこう解した。「チューリップの装飾で建物を埋めろ」と命じた施主セリム2世への抵抗-と。逆さまの花の周りは人が絶えない。雇われる立場のつらさは世界共通ということか。

エディルネは国境の町。ギリシャへは5キロ、ブルガリアにも10キロと近い。欧州とアジアの結節点に位置するエディルネは他国に支配されたこともあり、市内には戦争遺跡が多い。
中心部から5キロ北東には、帝政ロシアに備え、19世紀に造られた武器倉庫・陣地跡がある。街を見下ろす高台にあり、奪われたら街は丸裸だ。多くの血が流されたであろう大地には、特大のトルコ国旗が翻っていた。
勇猛で知られたオスマン軍。その敢闘精神は、スポーツ分野に引き継がれている。エディルネでは毎年、屋外レスリングの全国大会「ヤールギュレシ」が開かれる。今年で650回。格闘技大会としては、世界最古とされる。
特徴はオイルを体に塗りたくること。「オイルレスリング」とも呼ばれる。鍛えて盛り上がった筋肉は、オイルと太陽光でいっそうの陰影を帯びる。専用競技場は草が生い茂り、闘うレスラーは獲物を奪い合う肉食獣のようだ。
相手の両肩を一瞬でも地面につけたら勝ち。元レスラーの男性は「オイルと汗でとにかく滑る。相手を無理に投げようとすると、こっちがバランスを崩す。だから組み合う時間が長くなる」と説明してくれた。
決勝戦も約1時間組み合った後、数秒で決着がついた。勝者は雄たけびを上げ、敗者はへたり込む。過酷な闘いの勝者は国民の尊敬を集めるという。
レスリング観戦の帰路、花満開のヒマワリ畑に出合った。後ろには夕日に染められたセリミエ・モスク。一幅の絵画のような夕景。炎天下の闘いに興奮して余熱を帯びる心を、気持ちよくクールダウンさせてくれた。
文・写真 服部利崇
(2011年9月2日 夕刊)
メモ

◆交通
トルコ航空は成田から週6便、関西空港から週5便、イスタンブール直行便を出している。
エディルネは、イスタンブールから日帰りツアーもあり、バスで2時間半~3時間。
◆問い合わせ
トルコ共和国大使館文化広報参事官室(トルコ政府観光局)=電03(3470)6380
おすすめ

★ヒマワリ
イスタンブールからエディルネまでのトラキア地方はヒマワリの栽培が盛ん。種を食べたり、食用油にしたりする。
★橋
エディルネ市街地はトゥンジャ川、メリチ川の合流点に広がり交通の要衝。15世紀完成のファーティヒ橋、バヤズイット橋など数多くの橋がある。
★おみやげ
外見がフルーツそっくりのせっけんが人気で、市場で売られている。ほうきも名産。市の目抜き通りにはほうきを作る職人の像がある。鏡付きのミニほうきはおみやげに最適。地元では嫁しゅうとめの関係が円満になるといわれている。
★医学博物館
もともとは1488年にバヤズイット2世が建てた当時最新鋭の医療施設だが、今は博物館として公開。周囲にはモスク、医学校、ホスピスなどもある。精神病患者への音楽療法も行われていた。