
パリに着いた途端、地下鉄の駅で「シェルブールの雨傘」のポスターを見つけた。カトリーヌ・ドヌーブ主演の悲恋ミュージカル映画だ。♪モナムール ジュテーム・・・。ダニエル・リカーリの切ない歌声がよみがえり、矢も盾もたまらずシェルブール行きの電車に飛び乗った。
パリから3時間半。ノルマンディー地方コタンタン半島に位置するシェルブールは鉄道の終着駅だ。出征する恋人との別離のシーンにはうってつけの舞台といえる。映画に出てくる傘店のモデルとなった店舗は港通りに現存していた。
映画のロケ地を歩き、数え切れないほどのヨットが停泊する港に出ると、ナポレオンの騎馬像が立っている。近くにいたタクシー運転手のジャンに聞いてみた。「ここはナポレオンが造った軍港なんだ。英仏戦争時代からの要塞(ようさい)や防波堤も残ってる」

港の近くには原子力潜水艦の造船所など海軍工廠(こうしょう)がある。町の経済は観光と海軍で成り立っているというわけだ。映画が醸し出す感傷的気分がややしぼみ始めた。「でも、海岸線の美しさはフランスで1番だよ」。ジャンにせっつかれてラアーグ岬を目指すことにした。
半島はサイの角のように海峡に突き出している。眼下の海は緑青色と群青色の布地を交互に織り込んだように輝き、草地では牛や羊の群れが戯れていた。集落に入ると数100年の時を刻んだ城館や教会が当たり前のように姿を見せる。風景が調和を伴った音階のように迫ってきた。
「ジャック・プレベールって知ってるかい?」。幾つか集落を抜けたところでジャンが振り返った。「え、『枯葉』を作詞したあの詩人?」と答えると、「ウィ」とハンドルを切った。「すぐそこに彼の家があるんだ」
車はオモンビル・ラ・プティットという集落に入り、草木と花に覆われた瀟洒(しょうしゃ)な洋館の前で止まった。プレベールの詩はジョゼフ・コスマの作曲でイブ・モンタンやジュリエット・グレコらが歌った。庶民の暮らしを愛情のこもった視線で描いたプレベールの詩は日本でもファンが多い。その彼が晩年をこの地で過ごしたことを初めて知った。
家は博物館として整備され、居室や寝室などが生前のまま残されている。受付係のエリーズ・フルネルさんは、プレベールの詩の自由で平明な語感が好きだという。「ここの自然環境が彼の詩作に向いていたのです」「アビアント(また来てね)」。別れ際に陽光そのものの笑顔を見せてくれた。
また、近くのグレビル・アーグには、日本でも人気の高い農民画家のジャンフランソワ・ミレーの生家も博物館として公開されており、興味深かった。

ラアーグ岬に到着した。イギリス海峡から大西洋を望む海はさらに濃い青色をしていた。断崖といっても丸みのある穏やかな印象を受ける。日本では見られない景観といっていい。
「ほら、イギリスが見えるよ」とジャンが海を指さした。「サンブラーグ(まさか)」と答えたが、確かに島が見える。「あそこはイギリスなんだ」。地図を見ると、英国領チャネル諸島は岬から目と鼻の先にある。英国領とはいえ島民は独立した憲法を持ちフランス語を話しているという。
岬のレストランで地元産シードルを片手に、英仏戦争とノルマンディーの歴史に思いをはせた。
文・写真 土田修
(2013年5月17日 夕刊)
メモ

◆交通
パリ・サンラザール駅からシェルブール駅まで国鉄在来線(SNCF)の特急で
3時間半ほど。運賃は約50ユーロ(1ユーロ=約130円)。
ラアーグ岬まではタクシーで50~60ユーロ。
◆問い合わせ
フランス観光開発機構=電03(3582)6965。
ホームページも充実している。
おすすめ

★クルージング
シェルブール港沖やイギリス海峡沿岸に築かれた中近世の要塞、港湾駅、防波堤などを遊覧船で巡る。費用は大人14ユーロ、子ども9.5ユーロ。
★ミレーの生家
「落ち穂拾い」「晩鐘」などの作品で知られる農民画家ジャンフランソワ・ミレー(1814~75年)が幼少期を過ごした。当時の生活用具やミレーの生涯についての資料などを展示する。入館料大人4.2ユーロ、子ども2ユーロ。
★プレベールの家
詩人でシナリオライターだったジャック・プレベール(1900~77年)が70年に南仏から移住し、亡くなるまで住んだ。近くに墓もある。入館料大人4.2ユーロ、子ども2ユーロ。
★シードル醸造所
ノルマンディー地方で忘れてはならないのがリンゴ農園と発泡酒シードルの醸造所。
暑い夏に炭酸飲料感覚で飲めるシードルは日本でも人気が高い。
見学と試飲のできる醸造所やシードル博物館もある。