
別名「地震滝」とはよく言ったものである。
新潟県と長野県の県境、妙高高原の関川にかかる名瀑(めいばく)・苗名滝(なえなたき)が地鳴りのような音を森にとどろかせ、水しぶきをはね上げている。手前のつり橋に立つ。壮観だが、足もすくむ。この季節、標高2454メートルの妙高山からの大量の雪解け水で、水量は毎秒200立方メートルにも。「雪解けから梅雨までの水量では日本一の滝と思っている」と新潟県妙高市観光協会理事の荻野光貴さん(41)は誇らしげだ。
実は、今回ここを訪れるまで苗名滝の名前は寡聞にして知らなかった。1995年に大洪水のため滝に通じる遊歩道が壊滅。復旧に7年を要した。アクセス道路は大型バスがすれ違えないなど利便性もよくない。「口コミでは知られていたけど、観光地として積極的に発信してこなかった」のはそのためだ。
新潟、長野、群馬3県にまたがる上信越高原国立公園のうち、来春には妙高、戸隠地域が独立し、新たな国立公園に指定される。時を同じくして北陸新幹線が金沢まで開業。苗名滝近くに大型バスが乗り入れ可能となる道路の整備も進む。「自然豊かな観光の穴場として活性化させる転機」は目前に来ている。
古来、妙高高原を愛した文化人は多い。とりわけ日本近代美術の祖、岡倉天心は明治後期、赤倉に山荘を建て、パリ郊外の芸術村を模した「東洋のバルビゾン」をここに、と思うほどのほれ込みようだった。

苗名滝から車で10分ほどのところにある「いもり池」の水面は、なだらかな山裾が広がる妙高山を映し出していた。その風景に吸い寄せられるように、大勢の絵画愛好家たちが絵筆を手にカンバスに向かっている。
そんな妙高は毎年夏、天心が思い描いていた「バルビゾン」に変身する。東京芸術大教授らが講師を務め、一般の美術愛好家を指導する「妙高夏の芸術学校」。開校した96年当時、「前学長の平山郁夫画伯が天心ゆかりの地に彼の遺志を継承したいと始めた」と同大の佐藤一郎名誉教授(油彩画家)は振り返る。日本美術界をリードする豪華講師陣ながら「絵を描きたい人ならだれでも歓迎」という間口の広さもあって、例年約100人が腕を磨きにやってくる。

旅路は「北国街道」へと続く。江戸時代、佐渡金山で採掘された金や銀を江戸まで運んだ金の道。現在の国道18号を30キロあまり北上すると、妙高高原のさわやかな風とは異なり、重厚な空気に包まれた上越市の古刹(こさつ)、林泉寺に着いた。戦国武将上杉謙信が7歳から14歳まで学問を身に付けた曹洞宗寺院だ。
笹川元祥(げんしょう)住職の案内で境内を見学した。宝物館に残る謙信直筆の額「第一義」は、義を重んじた謙信の人となりを今に伝える。江戸末期の山門火災の際、修行僧たちが命懸けでこれを取り外して焼失から救ったと聞けば、その幸運を思わずにはいられない。
小ぶりながら、かやぶきの惣門(そうもん)は、この寺でひときわ存在感を放つ。現存する謙信時代の唯一の建築物である。建物自体が古い上、日本有数の豪雪地帯にあって保存の苦労は尽きないが、「400年以上守り続けてきた貴重な建築物を、後世に伝えていきませんとね」。穏やかな口調の中に、歴史の伝承者としての責任感が満ちていた。
文・写真 浅井正智
(2014年6月6日 夕刊)
メモ

◆交通
苗名滝へはJR妙高高原駅から頸南(けいなん)バス池の平・杉野沢線の「いもり池入口」まで約10分。ここで周遊バス「ぶらっと妙高号」に乗り換え約10分で「苗名滝」に到着。車は上信越道妙高高原ICから県道39号を笹ケ峰方面に4キロ、苗名滝入り口を左折し2キロ。
◆問い合わせ
妙高市観光協会=電0255(86)3911
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