
「後ろをごめんよ」
テーブルとテーブルの間を縫うように点心を運ぶのは、ホールスタッフの女性たち。伸び上がって見ると、手押しカートの中にきつね色に焼けた大根もちがあった。香ばしさに食指が動く。
「一皿ちょうだい」
人さし指を立てると、スタッフはにっこり。点心を円卓に置くと、私の手元の会計票にはんこを押し、店の奥へカートを再び進めていく。
香港の食品卸業者が軒を連ねる上環駅かいわいの「蓮香居(リンホンコイ)」は、古き良き飲茶スタイルを守る有名店。昼下がりに訪ねた。
エレベーターが開くと、目の前に人、人、人。100席以上はあろうか。どの円卓も相席で、普段着の地元客ばかり。家族連れはおしゃべりに夢中で、年配の夫婦は天井を見詰めて物思いにふけっている。
プーアール茶を注文すると急須が届いて宴(うたげ)の始まり。蒸しエビギョーザ、魚肉のピーマン詰め、揚げパン・・・。背中を通過するカートの数だけ違った料理がある。茶の渋味のせいか、口に脂っこさは残らない。締めはごま団子。おなかが満たされ、ベルトの穴を一つ緩めた。

食の都として知られる香港。
中国の北京、四川、広東、上海の四大料理はもちろん、フランスや日本、東南アジア料理のレストランも街の至るところで見かける。バラエティー豊かな食は、19世紀以降、英国の統治下となり、貿易で栄えた歴史と表裏一体である。
金融やホテルなどのサービス業が発展し、せわしなく働く人々が自炊の時間を惜しんで外食を頼りにする。レストランは、舌の肥えた客ばかりが相手なので、手抜きすればそっぽを向かれる。美食を生む素地がある。
お薦めは多国籍グルメ。各国の「純血種」の料理よりも、出合いのワクワク感がある。
例えば、メロンパンにも似たパイナップルパン。真ん中にはさんだバターが香ばしく、ミルクティーとの相性がいい。ポルトガル発祥のエッグタルトは、香港では焦げ目がない。日本のインスタントラーメン「出前一丁」を中華風に味付けした焼きそばもある。

そんなB級グルメの店がそろうのが香港中心部の尖沙咀(チムサーチョイ)。この一角で、若者に人気の店があると聞いた。行ってみると、鳥人風の看板に見覚えあり。名古屋めしの手羽先料理「世界の山ちゃん」ではないか。
店内は若いカップルばかり。手羽先をむしり、骨をしゃぶる客を見ると「ここは名古屋か?」と突っ込みたくなる。二度目の来店という会社員マルコ・リーさん(40)に感想を尋ねると「手羽先の味が濃いので、ビールが進む」と高い評価。香港人は酒に弱いそうだが、日本のサラリーマン的な食べ方も通用するらしい。
世界の山ちゃん香港店は2年前にオープン。食の流行が目まぐるしく変わる香港にあって以前と変わらず行列ができる。香港人は欧米系のフライドチキンを好む傾向にあり、名古屋の手羽先が脚光を浴びたとの説もある。
でも小難しくは考えまい。香港こそは、食の伝統と新しさがせめぎ合う土地。洋の東西と時代の融合を、目と鼻と舌で感じる旅があってもいい。
文・写真 小柳悠志
(2016年5月6日 夕刊)
メモ

◆交通
羽田、中部国際、関西国際などの各空港から直行便で約4時間半。
香港国際空港から九龍や中環などの中心部へは、鉄道のエアポートエクスプレスが便利だ。
地下鉄やバスの路線も充実している。
◆観光情報
インターネットで「香港スタイル」を検索。
日本の8空港と香港を結ぶ航空大手キャセイパシフィックが観光情報を載せている。
蓮香居などグルメの案内も豊富。
おすすめ


★スカイ100展望デッキ
九龍駅に直結し、香港で最も高いビルの100階、地上393メートルにある。
地上からエレベーターでわずか60秒。
夕景や夜景は一見の価値あり。
入場料は約2000円。
★香港海事博物館
香港の歴史と海のつながりを、船舶備品、模型、地図などの展示品で紹介する。
香港島北のフェリー乗り場の近く。
★トラム(路面列車)
2階建ての車両がユニーク。
香港島北の海沿いを走り、レトロな雰囲気が高層ビルとなじむ。
沿線には金融街や乾物店、大衆食堂があり、そぞろ歩きも楽しい。
★セント・アンドリュース教会
英国国教会信者らによって1906年に建てられた。
ビクトリア・ゴシック様式で、第2次世界大戦中は日本の占領軍が司令室や神社として使っていたとか。